朝6時にはプールで泳いだ。
日曜のこの時間、他に泳ぐ者はいなかった。
明洞の中心地にあるプールをひとりで独占し40分。
なんて贅沢な時間なのだろうと泳ぎ終えて余韻にひたり15階からのソウルの眺めにしばし見入った。
ジムへと移動し、基本的な筋トレだけでワークアウトを済ませて部屋へと戻った。
ホテルに朝食ビュッフェもついていたが、この日の朝は「干し鱈のスープ」を食べようと決めていた。
ホテル前からタクシーで出発し、店に近づき長蛇の列が視界に入ったからたじろいだ。
しかし、単なるスープであるから回転は早いに違いない。
そう踏んだどおり待つこと20分ほどで席に案内された。
スープもうまいが添えられていた白ごはんもかなりおいしかった。
栄養満点で味もよく、食べてすっかり朗らか幸せな気持ちになれたので、朝食として完璧だと思えた。
食後、ロッテ百貨店まで歩き、免税店をパトロールするという家内とわかれ、わたしはホテルに戻って一休みすることにした。
二時間後、ロッテホテルの前で家内と待ち合わせ、そこからタクシーに乗ってザ・ヒュンダイ・ソウルを目指した。
そこで、家内の妹分である女子と合流することになっていた。
彼女によればもはやロッテは古く、時代はヒュンダイなのだという。
早めに着いたので、なかをぶらついてコーヒーを飲み、誰かが美味しそうにキンパを食べていたから、わたしたちも真似をした。
そうしているうち、まもなく家内の妹分がやってきた。
4年ぶりだったから、互い顔を見るなり抱き合って、二人は再会を喜び合った。
ではお昼を食べましょうと6階へと連れられた。
彼女がスノギネ名家を予約してくれていた。
済州島の海産物をふんだんに使った料理で好評を博し、いまソウルでは屈指の人気店なのだという。
ビールで乾杯し、わたしたちはアワビをたっぷり食べて、もちろんおいしく、今度は済州島に行こうと家内は決意を固めていた。
ラウル・デュフィ展は同じフロアで開催されていた。
腹ごしらえを終え、彼女に連れられわたしたちは会場へと入った。
関係者が同行しているとのことでチケットの購入は不要だった。
家内の妹分はフランス語の教授職にあり、このほどラウル・デュフィ展の翻訳すべてを手掛けた。
以前フランスで会ったときにはルイ・ヴィトンのパンフレットの翻訳にも携わっていたから、まあ、結構大きい仕事に関わっていてなんだかとても誇らしい。
ラウル・デュフィについては数点の絵を知るくらいの知識しかなかったが、人生の過程ごとに彼の絵の主旋律となる色彩が明確に変化していくのが見てとれて、背景にあったであろう試行錯誤や葛藤などが透けて見え、その作品とあわせ人生の変遷にたいへん感銘を受けた。
彼女が訳した分厚いガイドブックが展示場で売られていたのでフランス語も韓国語もまったく読めないが購入し、ザ・ヒュンダイ・ソウルを後にしてタクシーで明洞に戻った。
そしてなんと元気なのだろう。
そこから家内は彼女と買い物に出かけ、わたしは疲れたのでホテルで休むことにした。
二時間ほど経過して午後6時。
ホテルの前で待ち合わせ、夕飯の場所へと移動した。
そのとき大阪から持参したおみやげの品を彼女に渡した。
中身は京都の種々の銘菓であったが、彼女はたいへん喜んでくれた。
まもなくタクシーが光化門に差し掛かって、フォーシーズンズホテルを過ぎたあたりで停車した。
ソンチュ・カマコルはそこから目と鼻の先だった。
これまた人気店であるようで列ができていた。
妹分の予約がなければいったいどれだけ待たねばならなかっただろう。
上質な韓牛は和牛を凌駕する。
とてもおいしく、ビールを飲んでワインを開けて、わたしたちは店のおすすめどころの肉をたっぷり食べた。
天気予報とは裏腹、前日同様ほとんど雨は降らず、涼風の吹くソウルだった。
食後、ぶらり光化門広場を歩いた。
風にのって実にいい時間が流れ、この日の印象深い一場面一場面がここで再生されて胸に刻み込まれていった。
次の日には帰阪しなければならない。
散策が心地よくて楽しく、その分、胸に募る寂寥感はいかんともしがたかいものだった。