のんびり過ごす。
そんな旅とはほど遠い。
あちこち動き回って、休憩したとしても散発的であるからだんだん疲労感が増していった。
三日目の朝、いつもどおり5時には目が覚めたが、プールに行こうという気にはとてもなれなかった。
しかし、根が真面目。
そう簡単にはさぼれない。
結局、当初から決めていたとおり、わたしは朝6時、プールへと赴いたのだった。
月曜日の朝6時、プールで泳ぐ物好きなどわたし一人に限られた。
いつもどおり40分間、泳ぎに泳ぎ、もちろんその後で最低限の筋トレもこなし、それでようやく課題は完遂と相成った。
シャワーを浴びて部屋に戻って、ああ、やれやれ。
わたしは再び寝床にもぐり込んだ。
朝9時になって女房が起き出し、クラブラウンジでのビュッフェに誘われた。
が、わたしは食べるより横になっている方を選んだ。
レイトチェックアウトにしてもらっていたから午後2時までゆっくりできる。
しかし、この日の待ち合わせは午前11時だった。
だるさを振り切り、家内とともにタクシーに乗って街へと出かけた。
東大門駅の9番出口で待っているとまもなく家内の妹分が現れた。
手にどっさり荷物を持っていて、手作りの味噌や唐辛子だというから、家内はたいそう喜んだ。
荷物を引き受け、妹分に先導されるまま予約の店へと向かった。
初日は冷麺と豚肉。
二日目はタラとアワビと牛肉。
だから三日目は鶏肉で決まりだった。
タッカンマリの名店がひしめく横丁のなか、随一だという店にわたしたちは連れられた。
暑い夏は熱々のタッカンマリというのが彼の国の定番で、その流儀に従い、熱々の鍋のなかで煮えたぎるトッポギを食べ、スープをすすり、そして鶏肉を頬張った。
すぐに汗ばみ、やがて野生の血が呼び覚まされた。
食へとまっすぐ向かう加速感のようなものが芽生え、わたしはいつしか歓喜した。
汗の流れるまま、鶏を鷲掴みにしてかぶりつき、刻みニンニクを鍋にこれでもかと投入し、ごくりスープを飲み干していった。
これはもう、なんというのだろう。
力がみなぎった。
締めの乾麺を食べ終える頃には、カラダにくすぶっていた鈍く重たい疲労感など消し飛んでいた。
だからその後、東大門市場での買い物に付き合うのも苦ではなかったし、寝具や食器類など重い荷物も軽々と引っ提げ、混み合う街路をわたしはさっそうと闊歩した。
そうしてチェックアウトする時間が近づいて、タクシーに乗っていったんホテルに戻ってパッキングし直してから、近くにあるバス停へと向かった。
やがてリムジンバスがやってきて、そこで妹分に手を振って、ソウルの街にわかれを告げた。
快適に車中の時間を過ごし、空港でチェックインしてすぐ保安検査の長い列に並んだ。
一時間ほどで出発ロビーにたどり着き、無事に免税品を受け取って、旅を楽しんでずっと笑顔だった家内の笑顔がそこで倍増しとなった。
午後5時半に離陸した飛行機がスムーズに空をひと跨ぎし午後7時には関空に到着した。
そこからクルマに乗って走って、思う。
なんて日本はキレイなのだろう。
夜景からでもその美しさを明瞭に感じることができ、それが心に滲みた。
そして湾岸線を突っ走っていると、ふと昔の一場面がデジャブのように今の光景に重なった。
二男が小学5年だったから、十年前のこと。
熊野古道で遊んだ帰りにこの道を走り、そして高速を降りて寿司屋で並んだ。
それが懐かしく、だから同じ道を辿って、わたしたちは十年ぶりに長次郎を訪れることにしたのだった。
女房と二人、カウンターに座って気取ったところの全くない寿司を食べ、十年前の光景と今が交差したところで、今回の旅は幸せのピークを迎えハッピーエンドとなった。