このところは朝もゆっくりな家内だが、息子のことになると昔に戻る。
早朝5時には起き出して、出力全開。
パル・ヤマトで買った肉を焼き、その他すじコンと牛ごぼうをこしらえた。
もちろんそれだけではなく、ヨガのレッスンへと行く道すがらベーグルを買い、帰りにみつ豆を買い息子への荷物に合流させた。
結局、冷蔵する荷物は二箱に及んだ。
それらをヤマト配送センターまでクルマで持ち込み、日曜の午前と指定して荷物を送り出し家内の任務は完了となったが、言うは易く行うは難し。
買い出しから始まって、料理づくり、荷詰め、発送といったプロセスの具体を知れば、それがかなり骨の折れる作業であると分かる。
だから毎回、わたしは頭が下がる。
先日は二男に送り、週末は長男に送った。
このように継続的に送り続けているから、これまで送ってきたダンボールをすべて積み上げればちょっとした建造物くらいの嵩にはなるのではないだろうか。
五十を過ぎても研鑽を怠らず、ヨガやジムや美容や料理や英会話に日々取り組み、それでいて息子たちのことがお留守にならない。
凄まじいパワーであるから、わたしなど敵うわけがない。
だから夫婦の間柄が大助花子となるのは、当然にも当然すぎる帰結と言えるだろう。
そしてその恩恵は計り知れないのだった。
家内によって家庭がしっかり安定し、息子が強靭化され、わたしもパートナーとして多少なりとも強くならざるを得なかった。
誰もが得している訳であるから、わたしたち男3人は家内に足を向けて寝られない、ということになる。
かつて家内を当てこすった人物は夫婦揃って、要は家内やわたしやうちの子どもたちを見下していたということなのだろう。
振り返って思えば、そうだと分かる。
わたしたちは貧乏で見栄えせず、息子たちはバカ丸出しで品性に欠けて粗暴。
その人物らにはそう見えて、見えたとおりにわたしたちを蔑んだ。
しかし、月日が流れるにつれ、そんな表面的な見え方はとんだ見当違いであったとだんだん分かって、蔑みが次第、妬みや嫉みといったものに近い不快感へと変質していった。
人を見かけで判断し、上には取り入りお追従を並べ、下には冷たく素っ気なくにべもない。
そういった薄っぺらな心根は、自身をも巻き込んで自分をよく見せるよう腐心しなければならず、実力が伴えば自ずとよく見えるのだろうが、実力がないとあれもこれもと小ウソで粉飾するということになる。
そして、小ウソが小ウソを呼んでやがて小ウソのオンパレードといった状態になるがバレないと思っているのは本人だけであるから実に痛々しく、薄っぺらな心根の末路がなんだかとても気の毒に思えてしまう。