横浜滞在の三日目は朝から雨となった。
霧がかかって何も見えず、せっかくの眺望も台無しとなった。
前日同様、朝一番でフィットネスに向かった。
泳いで筋トレしサウナに入って、それから業務にかかった。
買い物に出かけると言って家内は一足先に部屋を出て、わたしは昼前にチェックアウトし家内の後を追った。
横浜駅周辺でまずは荷物を預けようとロッカーを探すがどこも満杯で難儀した。
ルミネ近くの奥まった場所にロッカー群を見つけ、わたし同様、少なくない数のロッカー難民が後に続いていたが、こればかりは早い者勝ち。
目を皿のようにして探し、ようやく「空き」を見つけたとき、わたしは心の底から歓喜した。
横浜そごうで家内と待ち合わせて昼を済ませた。
買い物した荷物をロッカーに預けたいと家内が言うが、空きはない。
さほど重くはなかったので、わたしはそれを手に提げ携行すると腹を括った。
目的地は日吉。
東急東横線の改札に向かうため、わたしたちは地下へと降りた。
と、そこにガラ空きのロッカー群があったから驚いた。
まさに穴場。
右往左往していたさっきのロッカー難民たちがここにたどり着きますように。
そう祈って、わたしは手に提げた荷物を押し込んだ。
慶應生と思しき一団とともに電車に揺られ、まもなく日吉駅に到着した。
今日を最後にしばらくここにやってくることはないだろう。
もし来るとしても、孫が通うような場合に限られ、ずいぶんと先の話になる。
だから記念の品を買っておこうとまずは高校の中を進んだ。
高校の購買部でしか手に入らない品を家内が買い求め、それから大学へと引き返し、今度は大学の購買部でポピュラーな慶應グッズを幾つか選んだ。
そして雨の中、息子の登場を待ちつつ、そこらの光景を写真に撮った。
雨ではあるが、視界良好。
みな一様に晴れやか。
今日は卒業式。
皆にとって人生屈指のめでたい晴れの舞台なのだった。
まもなく、日吉記念館へと向いて歩く息子の姿をわたしは見つけた。
まるでそこにスポットライトが当たっているかのよう。
かなりのガタイ。
スーツ姿がとてもよく似合っていた。
よおと声をかけ、わたしたちは傘をそこらに放って、息子と並び記念写真を何枚も撮った。
ちょうどそこに、かつてうちに泊まりにきたことのある友人も通りかかったから、一緒に引き込みこれまた何枚も写真を撮った。
わざわざ日吉までやってきた甲斐があった。
家内の満面の笑顔をみてわたしはそう思った。
式典の会場へと向かう息子とわかれ、わたしたちは日吉キャンパスを後にした。
隣を歩く家内の背中に手を置いて、わたしは家内をねぎらった。
「ほんとうにいろいろ、おつかれさま」
一瞬、家内が言葉に詰まり、目に涙が浮かんだのが分かった。
時間があったので、買い物しようと日吉から新宿の伊勢丹に向かった。
家内は何やら記念の品として食器を選び、わたしは地下食で帰りの車中で食べるお酒のつまみを物色した。
この日もさんざん歩いて、夕刻には相当な疲れを覚えた。
足ツボマッサージを受けようと横浜駅付近の店を予約して、これを希望の星として仰ぎ見て、なんとかわたしたちは横浜までの道中を持ち堪えた。
足裏マッサージほど気持ちのいいものはない。
そう夫婦で文字通り痛感する40分を過ごし、夫婦ともども体力気力の回復をみた。
二箇所のロッカーから荷物を取り出し、相当な分量の荷となったが満員電車もなんのその、わたしたちは颯爽と新横浜駅に降り立った。
下りの汽車に乗り込んで、ああ、やれやれ。
スパークリングの栓を開けると小気味良い音があがって、これが宴はじまりの合図となった。
新大阪駅までの二時間余り、わたしたちは良き節目の余韻にひたって飲んで食べ、持ち込んだだけのお酒では足りず、ビールね、ハイボールねなど、売り子さんに何度も声をかけることになった。