北浜での業務を終え、梅田で時間を潰してから家内と合流した。
月に一度のヘッドマッサを受け家内はハツラツとしていた。
では食事に行こうと大阪駅の改札をくぐったところで足が止まった。
電光掲示が電車の大幅な遅れを伝えていた。
今しがた京都線で「接触」事故があったとのことであった。
50分遅れや55分遅れなどの表示を目にして一瞬狼狽えたが、15分も待てば一周遅れくらいの新快速が4番線と5番線にほぼ同時にやってくると読み取れた。
ただ、どちらのホームに先に新快速が入ってくるかは分からない。
わたしたちは特に理由もなく5番線のホームにあがって列に並んだ。
まもなく4番線に新快速が入ってくるのが見えた。
何人かの人が5番線の階段を駆け下りて4番線へと移動し、それにつられて大勢の人が慌てて後を追った。
だから5番線のホームでは人がはけ、一歩遅れてやってきた新快速にわたしたちはゆうゆう座って芦屋へと向かうことができたのだった。
しかし、途中でアナウンスが入った。
今度は東西線で「接触」事故が発生したとのことだった。
線路に身を投げる人が後を絶たない。
一体なんてことなのだろう。
乱れたダイヤが更に乱れた。
わたしたちの乗る新快速は新快速とは名ばかりののろのろ運転を続け、途中で何度も停止することになった。
なんとか芦屋駅までたどり着いたものの予約の時間を大幅に過ぎていたから駅前で阪神タクシーに乗り込んで、店へと急いでもらった。
店に着いてビールで乾杯して、ようやく落ち着いた。
肉も魚も美味しいと聞いていたので、まずは軽く魚からはじめることにした。
刺し身の盛り合わせとかわはぎの造りを分けて食べ、家内の話に耳を傾けた。
この日、家内はヘッドマッサの後でたこ焼きを食べ、その写メを息子たちに送った。
即座、双方からたこ焼きが食べたいとの返事があったという。
そう言えば、彼らは結構「たこ焼きっ子」であった。
夏の帰省の際には、焼肉ではなくたこ焼きを食べさせてあげようといった話をしつつ、きんきの煮付けと塩焼きを食べ、ここで家内は週末に息子たちへと送る料理について構想を練り始めた。
いくらの瓶詰めに牡蠣のオイル漬けも送ってあげよう。
息子たちの好物が次から次へと家内の頭に浮かんでメニューがたちまちのうち具体化していった。
もちろん肉も欠かせない。
そう思ったところで和牛を頼んだのであったが、食べ物を前に食べ物の話ばかりしていたからだろう、思った以上に早くお腹がいっぱいになってしまった。
焼き明太子を箸休めにして、ここで最後の注文。
オムライスで締め、食べ終える間際にタクシーを呼んだ。
見慣れた街を眺めつつ、ああ、息子たちは東京にいてこの街にはいないのだと気づいて少しだけ寂しいような気持ちになった。
だから家に帰って二人で飲み直すことにした。
お酒がすすみ、週末、東京に行こうかといった気持ちにわたしはになりかけたがさすが家内は冷静だった。
土日は息子たちのために料理を作る。
そうすでに話は決まっていたのだった。
となれば、ひとりで遊ぶなどできるはずもなく、わたしの前には家の掃除という一択のみが残された。
大丸心斎橋のたこ焼きが、巡り巡って家でルンバを走らせる。
これも一種のバタフライ効果と言えるかもしれない。