二男がイギリスのサマセットを訪れたのは中3の夏であるから、6年前のことになる。
わずか1ヶ月半の短期留学であったが、多くの友だちを得て、いまもSNSなどで交流が続いている。
そのうちの一人、チャイナの女子がいま日本を訪れていると分かった。
関西の案内を二男が買って出て、この日は京都を回るという。
だからわたしたちは夫婦ふたりで家を出た。
渋滞を避けるため朝の7時過ぎに家を出たが、すでに宝塚インター入り口にはクルマがひしめき合っていて、なんとか本線に入れたものの、ところどころ主要なインターで渋滞が発生していて事故渋滞にも巻き込まれ、3時間と見込んだ往路に6時間を要することになった。
しかし、尾道の「あそう」で尾道焼きを食べ、これが実に美味しく渋滞に費やした労力は報われた。
大将と女将さんが、ほんとうに親切で優しく、これこそ旅。
おいしい尾道焼きで旅の喜びをも味わうことになったのだった。
暑いさなか、尾道で特に見るべきものもないと思って、そのまま生口島へとクルマを走らせ、思い出の場所を各地巡った。
景色の端々から昔の記憶が蘇り、同時に7歳と5歳だった息子たちの面影も眼前に鮮やかに立ち現れた。
YUBUNEという宿を予約してあったが、思いの外、部屋がよく、風呂も良かった。
夕飯は近くの「ちどり」という店を予約してあった。
しかし、虫の居所が悪かったのか、ここの女将が険悪な表情で物言いがつっけんどんだった。
そんなものの言い方をされただけで、一日が台無しになる、なかには人生が台無しなるといったこともあるかもしれない。
下手すれば旅が台無しとなるところ、わたしたちは持ちこたえ上機嫌を維持した。
隣席は東京方面からの観光客とみえたが、同じく気分を害したと見え、帰り際、最大限つっけこんどんに応酬していたが、同じレベルになったのでは詮ないことだろう。
わたしたちは30分ほどで食事を終え、旅先の夕飯がそんな短時間で終わるのはありえないことであったが、おかげで生口島の海に沈む夕日の残光をこの目にすることができた。
あの女将が嫌な感じだったからこそであり、わたしたちは差し引き、得した、と言っていいだろう。
渋滞であろうが、嫌な対応をされようが、そんなスライディングタックルでバランスを崩さないくらいのフィジカルをこの夫婦は備えるに至ったのだった。
15年前には考えられないことであった。
当時なら感情的に反応し嫌な気分を増幅させてしまっていたことだろう。