雨が激しくならぬうち近所のファミリーマートへと向かった。
一抹の不安はあったが幸い、店は開いていた。
店主夫婦がレジに出て早朝から手際よく業務をこなしていて、頭がさがるような思いとなった。
台風が過ぎるまでの備えとして飲みものとインスタントラーメンなど食べものを買い込んだ。
家に戻った途端、雨が激しく降り出した。
時刻はまもなく午前7時になろうとしていた。
長男に電話してみた。
台風7号の影響をモロに受けている大阪とは打って変わって東京は雨もなく穏やかな朝を迎えているようだった。
8月15日といっても彼は平常通り出勤の途にあった。
「今日も仕事か?」と問うわたしに「一生、仕事やで」と長男は明るく楽しそうに答えた。
休みが取れたら一緒に遊ぼう。
そう言って電話を切った。
テレビをみるとどのチャンネルも台風情報ばかりだった。
阪急電車を除いてほぼすべての交通機関が運行を停止していた。
高速道路は通行止めになり、関空への連絡橋も封鎖されすべての飛行機が欠航となっていた。
まったく身動き取れない状況になっていたから一日帰宅を早めてほんとうによかったと心から思った。
もし予定どおり15日まで滞在していたら、ただ部屋にこもってじっとしている他なく、16日に帰るにしてもたいへんな混雑を余儀なくされたに違いなかった。
66期の仲間と旅行に出かけていた二男に連絡をとると、案の定、彼らも的確に状況判断して旅程を一日短縮し既にこっちに戻ってきていた。
今、阪急沿線の友人宅にて過ごしているとのことだった。
聞けば海で遊ぶ際もみなで注意を払い合い、万一のことがないよう声を掛け合ったというから、やはり星光生は危機管理についてもきちんと行き届いているのだった。
家で家内は料理を作って過ごし、わたしはお盆休みの間に溜まった新聞に目を通した。
時節柄、戦争関連の記事が多く、夥しい数の人々の不本意にも不本意過ぎる無念に胸が詰まった。
やはり戦争などあってはならない。
過去をほんの少しでも知れば、それ以外の結論など導きようがなく、ありふれたようなこの平和がどれだけ尊いことなのかに理解が及び、それを絶対に失ってはならないと強く願うような気持ちになる。
夕刻を前に二男から電話がかかってきた。
依然、激しい雨が降るなか西宮北口駅までクルマを走らせローターリーにて息子をピックアウップした。
いたるところ店は休業となっていて、まるでゴーストタウンと化したかのような景色のなか二男を連れ、無事に家へとたどり着いた。
そこから彼はあちこち電話をかけまくって、開いている美容院を近くに探し、出かけて行った。
偶然、隣席に隣家の奥さんが座って髪をカットしてもらっていた。
しかし、隣家の奥さんは、二男にまったく気づかなかった。
最後に店を出るとき、二男は奥さんに挨拶した。
隣家の奥さんは椅子から転げ落ちそうなくらい驚いたという。
もはや昔の面影はなく、二男はいっぱしの青年となっているのだから無理もない。
そんな話を聞きながら、家内の作った料理を囲んで、三人でビールやらワインを飲んで過ごした。
外は引き続き荒れ模様であったが、そうであればあるほど、内の穏やかさが明瞭な輪郭をもっていっそう確かなものとなっていった。