気温が8℃だと手がかじかむ。
前日と打って変わって真冬なみの寒さとなった土曜の朝、家内に率いられ松濤、富ヶ谷あたりを自転車で疾駆した。
お茶休憩のあとは代々木公園へと足を延ばし、サイクリングコースをぐるぐる回った。
銀杏並木をバックに家内の記念写真を撮っていると「昼なら時間が取れる」と長男からメッセージが届いた。
それでいったんホテルへと戻ってわたしたちは支度に掛かった。
家内は銀座の游玄亭を予約し、わたしは家事代行会社に連絡し息子の部屋の掃除を手配した。
そして渋谷から地下鉄で銀座へと向かった。
筋トレのあとサウナに入ってきたという息子は顔の色艶よくとても元気そうだった。
肉を焼きつつ仕事の話を聞くが文化も社会的背景も異なる相手に対し業務し、取扱い量の管理は算数そのものと言えた。
中学受験で算数を鍛えたことは無駄ではなかった。
わたしは心からそう思った。
同じ游玄亭であっても銀座店は別格だった。
お代は五万を軽く超えたが肉は美味しく接遇も素晴らしかった。
食事を終えて三人で銀座三越へと向かった。
家内と息子が並んで歩くその後ろ姿をしみじみとした思いで眺め、過去の後ろ姿をわたしは回想し懐かしんだ。
家内があれこれと助言し息子のコートとカバンを選び、これから友人らとクルージングパーティーに出かけるという息子に地下鉄の入り口で手を振ってわかれた。
長男に会えれば二男にも。
家内がそう思うのは自然なことだった。
忙しいと頭では分かっていてももしかしたらタイミングが合って会えるのでは、そう発想する家内は恋する乙女のようなものだった。
二男の動きに合流する場合のことを考え、わたしたちは新宿へと移動した。
伊勢丹でアスティエの食器を買い、最上階で紅茶を飲んで二男からの返信を夫婦で待った。
そのときセノーくんからメールが届いた。
この日大阪星光の大忘年会が開催されていて、そこに太一くんが現れたとのことで連絡先を教えてくれたのだった。
太一も医者であるから一体全体33期はほんとうに医者だらけなのだった。
結局午後7時を過ぎても66期である息子からの返信はなかった。
忙しいのは当初から分かっていたことだったから諦めてわたしたちは山手線に乗って渋谷へと引き返した。
渋谷の円山町あたりにいい店があると家内が言うのでそこで夕飯を食べることにした。
ラブホが群居する一帯を潜り抜け、ホテルへと入る様々な取り合わせの男女の姿を目にし、人というものの営みの一端を垣間見るような思いとなった。
カジュアルな感じのイタリアンの店があり幸いカウンターに空きがあった。
常連客がくつろぐ居心地の良さにひたって、わたしたちは一見であったがその空気感を楽しんだ。
シェフは可愛く愛嬌のある女子で料理は抜群に美味しく、店主は優しく親切でとても感じが良かった。
ところが酔いが回ったのか一人のおばさんが甲高い声をのべつまくなしに撒き散らし始めた。
家内はそれが耳障りだったからiPodsで耳を塞ぎ、一方のわたしはそれも一興と思って慣れようと努めた。
食事を終えホテルへの道を辿った。
夜が更けるにつれ道玄坂界隈はものものしい雰囲気となって騒々しさを増し、まさに伏魔殿といった様相を帯び始めていた。
普通の人なら恐怖感を覚えても不思議ではなかった。
しかしわたしたちはおばさんの甲高い声に触れていたから平然とそこを通り過ぎることができた。