その人は曲がったことが大嫌いなのだという。
そういうときには異を唱え、その勢いや凄まじい。
だから「曲がった」と解釈された時点で、問答無用となって、とりなす余地は見いだせない。
その人自身の落ち度は棚に上げ、荒っぽい決めつけ口調が時を追うごと加速度的に増大していった。
言葉数の分だけ多勢に無勢。
小さくひ弱そうな身体の一体どこからそれだけの言葉数が湧き出てくるのだろう。
「曲がった」との認定は、なすがまま一方的に強化されていった。
わたしはただただ黙って耳を傾けた。
事を荒立てれば、他の誰かに迷惑がかかる。
だからわたしはその誰かのため、じっと黙して頭を垂れた。
わたしがそんな恭順な態度を見せれば見せるほど、口撃の度に拍車がかかった。
そして同じ話が何度も繰り返された。
だからわたしは気長に構えることにした。
話が終わるまで、なにか他のことでも考えよう。
さて今夜は何を食べようか。
遅くなったし、ちょっと一杯、寄り道するのはどうだろう。
いいねえ。
夜はクエ鍋にすると家内が言っていた。
だから居酒屋では軽く済ませておかねばならないだろう。
ああ、なんてわたしは幸せなのだろう。
このあと好きなものを食べ、家では優しい女房が料理を準備し待っている。
そうそうこの日、一件大口の契約も決まって今年も実に幸先がいい。
その客先ではこんなイカれたやりとりが生じることなどあり得ない。
意識を内向させることで、叱責を続ける人物とわたしの間に横たわる大きな隔たりが、だんだん視覚化されていくように感じられた。
こちらに流れているものと、向こうに流れているものはまったく異質で、相容れない。
向こうに流れる禍々しいようなものが、ひとしずくでもこっちに跳ねて混ざれば事である。
わたしは一歩、後ずさりした。
続いてわたしの頭には、息子たちから今朝届いたメッセージのことが浮かび、なんとも楽しく、そして頑強な息子が二人もいてそれがとても頼もしいことに思えた。
「曲がった」と認定されて叱責を受け、わたしは眼前にありありと広がる彼我の差に、えも言われぬような心地よさを覚えた。