帰宅すると夕飯の支度が整っていた。
いい焼き目のステーキがトップバッターで、続いて登場したぶりの照焼も味で並び立ち、ハイボールが進んだ。
締めは前夜のクエ鍋の出汁で作った雑炊で、この日も大満足の夕飯となった。
食事を終えて家内が二男に電話をかけた。
いま東京はめちゃくちゃ寒いのだという。
だから送ってもらった毛布があって助かっている。
母と子がするそんな会話が耳に心地よく、だからハイボールがますます進んだ。
暖冬が続き出番のなかったタトラスのダウンがいま大活躍している。
そんな息子の声に乗って、その姿形が目に浮かんだ。
小さいころは粗末な服を着ていてダサかった。
もちろん親からすればそのダサさも含めて愛らしく、長じていまはおしゃれになって、そしてそれがまたまた愛らしい。
笑顔満面で話す家内を見て思う。
わたしが感じる愛らしさの数倍は息子のことが愛らしい。
そう感じているのは間違いないことだった。
だからその相乗効果でわたしの胸に満ちる愛らしさも倍加してその分さらにハイボールが進むのだった。