KORANIKATARU

子らに語る時々日記

芦屋ラグビースクールがおすすめ

芦屋ラグビースクール(RSA)に子らを通わせて1年を越えた。
1年経過後、Before・Afterについて忘れないよう記録しておく。

当初、日曜の朝は子ら(長男小4、二男小2)にとって酸鼻極まる悪夢の時刻だった。
心地いい夢見の状態に、ラグビーの練習という忌避すべき事態が押し寄せてくる。
子らはベッドに張り付き、泣き叫ぶ。
その泣き喚く声は近所中に響き渡ったのではないだろうか。

半ば力づくで、ベッドから引きずりおろし、ジャージに着替えさせ、抱きかかえて車に乗せる。
拉致誘拐のようなことをして始めて、練習に参加させることができたのであった。
練習場までこぎ着ければこっちのもの。現場に着けば腹は決まるようだった。

すぐに夏合宿があって、参加させた。
初心者には過酷だったようで、毎夜一人夜空見て泣いたという。
ラグビーへの忌避感は増すばかり。
夏合宿が終わって迎えに行くと、二男が「神社に行ってくれ」という。
神社?何で?と問うと、
神社でお参りして、世界からラグビーというスポーツがなくなるようお願いするのだという。
忘れられない言葉である。

2〜3カ月の間、子らの無駄な抵抗は続いた。

1年経過して、ずいぶん変わった。
ひ弱さを丸ごとさらけ出し、頼りない様子この上なかったが、今では弱さを胸に押しとどめ、ぐっと堪える男らしい面構えになってきた。
兄弟揃って公園を走り、つべこべ言わず強くなるんだという、真っすぐ突き出るような気持ちが芽生えてきた。

家内については、子が出来たらキレイな洋服着せてピアノの発表会を見に行くとの心積もりでいたようで、出来た子が2人とも男、しかも、ラグビーするなんて、人生の想定外であった。
ラグビーに距離を置いていたのだが、日増し逞しくなる息子の様子を意気に感じたのか、すっかり今では子らの応援団長。
送り迎えに食事の用意にと余念がない。
そして、芦屋ラグビーに参加している他の母らとの交流も深まり始めたようだ。

先日は子らも交え母チームで一緒に食事したという。
漫然とではなく苦労数々ある骨折りの活動を通じ、仲間ができ、交流が深まっていくのは実に素晴らしいことである。
この先長く続く人間関係がそこから生まれるに違いない。

何はさておき、芦屋ラグビーは、人の雰囲気がとてもいい。
参加して1年も経つと、父兄やコーチの正体も微か聞こえるようになる。
芦屋ラグビーに集う方々はいい人だらけで、どうやら、かなり錚々たる面々のようである。

練習になると、方々で、本気も本気の叱咤激励が飛び交う。
コーチの真剣さを肌で感じることができる。
のべつ幕無し、ネチネチと本筋以外で声荒げる学校の教師とは訳が違う。
ラグビーという切った張ったの大立ち回りの最中に、不可欠で肝心要なことを、絶対に忘れられない仕方で伝達しているのである。

うちの子は、練習自体のハードさよりも、その叱咤激励に恐れを為していた。

怒鳴られることで、子供の頃に耐性が備わり、「受け身」が身に付くのは、有り難い。
怒鳴るコーチに後光が差す。心の中で手を合わせたいような気持ちになる。
張り裂けんばかりの大声で指導して下さるコーチの懸命さに頭が下がる。

繊細柔肌のような感受性のままでは、その先覚束ない。
ちょっと冷たくされただけで、一言怒られただけで、しょげてしなびる奴は将来期待薄である。
岩でこすられても槍で突き刺されても平気のへの字なくらい、神経が図太くなるに越したことはない。

体力がつき、気持ちも丈夫になる。
勉強にも好作用、将来は仕事にも活きるだろう。
おまけに、生涯に渡る仲間もできる。

芦屋ラグビー、言うことなし。お勧めである。

ただし、したたか食うようにはなるので、食費はいや増しに増すけれど、、、

追記
今年の夏合宿の練習中、二男は空にかかる虹を見た。とっさに願い事をしたという。「この世からラグビーというスポーツがなくなりますように、、、」。