朝練にしては出発が早すぎる。
そう思っていた。
息子によれば、学校に一番乗りし誰もいないグラウンドで練習しているのだという。
なるほど。
空気は凛と冷え、あたりを静寂が包む。
薄明のグラウンドをひとり疾駆する二男の姿を思い浮かべてみる。
自ずとある種のゾーンに入る状態となるだろうから、皆でわいわい練習するよりはるかに上達が促されるかもしれない。
夢中になって対峙する何かがあるというのは実に素晴らしいことである。
息子の自主練の様子を何度も思い浮かべ、それを励みに業務に勤しみ晴れて終業。
家内が家で肉を焼くと言うので神戸ワインの赤を買って真っ直ぐ帰宅した。
週末金曜日、焼肉を盛った大皿を食卓に並べワインをグラスに注ぎ、これでラグビー観戦の準備は整った。
観て最も面白いスポーツの筆頭に挙がるのは間違いなくラグビーだろう。
そしてラグビーママである家内のワールドカップへの入れ込みようは相当なものである。
ラグビーに縁もゆかりもない家内であったが、子らを芦屋ラグビーに通わせて以来、ラグビーはある種、信仰の対象とも言える存在となった。
うちの子らが多少はまともに育ったのは、ラグビーのおかげ。
実際にそう思うから、やはり信仰と大差ない。
もしラグビーに出合わなかったら、息子らはエネルギーを持て余し、バカ丸出しの放蕩者となったかもしれず、あるいは、懊悩抱えて引きこもるような根暗者となったかもしれない。
成長促進の支柱のような役割をラグビーが果たしたことは間違いなく、そこには人生の荒ぶるシーンのすべてが詰まっていて、だから子らにとっては生きることのエッセンスを感知する先取り学習となったであろうし、親にとっても人生の原則を学び直す貴重な機会となった。
世界最高峰のラグビーがここ日本において6週間に渡って繰り広げられる。
画面を通じ観戦するだけでなく、長男は横浜でわたしたちは神戸にて、その聖域を巡礼することになる。

