KORANIKATARU

子らに語る時々日記

アサギマダラ

アサギマダラ・マーキングは、父と子のアクティビティとして、イチ押しである。
特に子が小さく昆虫好きならば、外せない。

子らが現役バリバリの虫取りハンターであった頃、伊丹市昆虫館友の会に参加させていた。
数々の虫取場を渉猟しもっぱら甲山で戦果を上げてきた彼らであったが、ほとばしるような好奇心を十分に満たすには、系統的な知識を備え数々の経験を有する手練の後ろ盾が必要であった。

伊丹市昆虫館は、子らの虫取人生を深め充溢させる上で、まさに渡りに船であった。
陸海空あらゆるジャンルの虫たちの生態に迫る感興そそる行事が多々催され、熟達者が、子らを引率してくれる。
そこでの指導によって、トンボやアゲハチョウ、カブトムシにカマキリなど様々な昆虫の生誕の一部始終を子らは我が家でも実体験できた。
ヤゴが羽化しトンボとなって我が家の天窓へと羽ばたきゆっくりと浮上した姿は感動的であった。
その他、昆虫談義の思わぬ副産物として、幅広い年齢層の人と自然とコミュニケーションとることができるようになった。

昆虫館で行事がある度、ほとんど家内が集合場所に連れていっていたのだが、アサギマダラだけは、ちょっとした山歩きを伴うので私が同行することとなった。

アサギマダラは、本州北部から南西諸島、台湾までの範囲、約2000kmを移動するという。
「渡り」を行う日本唯一の蝶である。
秋の到来とともに親の世代が南下を始め、春になると子の世代が北上する。
天空に蝶の道があるのかどうか、太古よりその行き来は季節ごと繰り返され、しかし、今なお、詳細は不明であるという。

ちょうど今のシーズン、標高1000mから1500m以上の高原でアサギマダラを見ることができる。
そこでアサギマダラは秋の訪れを待つ。空気が冷え秋の兆しが見えるとたちまち一斉に南の空へ羽ばたいていく。

8月初旬のびわ湖バレイ
ロープウェイとリフトを乗り継ぎ、山頂附近の見はるかす高原でアサギマダラを探し求める。

長い虫取り網を8の字にゆっくり旋回させつつ、アサギマダラの気配を探り、その後をたどる。
網にかかればそっと優しく捕獲。羽にマーキングを施して放してやる。
運が良ければ既になされたマーキングにより、そのアサギマダラの来歴の一端を知ることができる。

薄霧のなか緩やかに舞うアサギマダラを静かに追い、子らとともに高原の芝生の上を行きつ戻りつ繰り返す。
蝶から蝶へとその後を追って渡り歩く。
アサギマダラの時間軸と日常の時間軸が交差し、忘我の境地へと至るよう。
現実が遠景に退き、アサギマダラの空間で戯れる幸福な散策。

子らも私同様に、高原に舞うアサギマダラを追うことで、地上と異なる別世界の存在を直感し垣間見たはずである。
ゆっくりゆっくりと蝶を追ったあの静かな時間と蝶が舞う光景は、記憶の引き出しの最も手前側で共有され、我々のすぐ近くにずっと留まり続けている。この先もずっと鮮明に残り続けることだろう。

今年は8月7日(日)にアサギマダラ・マーキングが伊丹市昆虫館主催で開かれる。

追記
ところで、今は天体に興味持つ我が子であるが、昔とったきねづかで、昆虫のケアも怠らない。
我が家の裏庭はちょっとしたビオトープである。
子らがその生誕を手助けしてやったあれやこれやが生息している。最近では夥しい数のカマキリがふ化し、近辺あちこちに出没しているという。
町内にカマキリが多いとすれば、うちの子が原因かもしれない。

何はともあれ虫から星へと、関心の先が変わって少しホッとしている。
虫の話するよりは、星の話出来る方が、女の子にも受けるだろうし、、、
虫の前は電車に夢中であった。だんだん、子の関心は、モテる方向に推移していると思っていいだろう。多分。