この先どうなっていくのか。
そのときには分からない。
あとになってようやく気づく。
いま思えば、あのときがわたしにとってカンブリア爆発の端緒のようなものであり、地質年代上の記念碑的な瞬間だった。
いまの多彩はその一点に収斂されていく。
末広がりな八本足のどこから元をたどってもその先にはタコちゃんがいる。
図解にすれば、事は実に明瞭にくっきりと浮かび上がる。
遡ること10年前。
屋外のテラスで向かい合って久々の再会を果たした。
新緑が目に眩しく、春の微風が爽やかに吹き抜ける。
そんな初々しいような一場面がよみがえる。
先週、顧問先が3件増えた。
うち2件はタコちゃんがいればこその話であるから、あの春の微風は勢いを増し、いまもわたしの追い風となり続けているということになる。
繰り返しになるがこんな風になるなどそのとき想像もしなかった。
その春はちょうどこの日記を始めようとする時期とも重なる。
子らに語る日記であるから、上記のことは子らに是非とも語っておかねばならないだろう。
ところで先日、二男がユニバを訪れた。
神医と阪医の友だちと連れ立って、そこで京医の66期らと偶然出くわした。
期は水よりも濃い。
66期のみなで遊んだという。
男ばかりで遊ぶのが奇異に感じられるかもしれないが、それが大阪星光。
40になっても50になっても男ばかりで遊ぶのであるから、それが自然体と言っていいだろう。
この週末は阪医と京大の友人と白浜で過ごし、まもなく運転免許合宿でこれは東大と京大の友だちと二週間ほどの時を共有する。
66期も33期同様に仲が良く、微笑ましい。
当たり前にそうであることを33期の先輩として実践できたことが少しばかり誇らしい。
天六には福効医院があり、大阪星光には福がある。
先々どうなるか。
おそらく想像を超えたことになる。
なんと楽しみなことだろう。
このほど「すごいぞ、星光」なる企画が同窓会有志により立ち上がった。
社会で活躍する星光OBにスポットを当て情報を集約し星光生に対し発信していくとのことである。
全星光生にとっての「星座早見表」が出来上がるようなものである。
その共有がまた星光生の結束を大いに強めていくことになるだろう。