KORANIKATARU

子らに語る時々日記

アイのムチムチ

子供の頃、ラブシーンは見てはいけないものであった。
場面がキスシーンに差し掛かると、視線のやり場に困ったものだ。
仕方ないので「終わったら言うてや」とオカンに頼み、その間弟と二人文字通り目を覆うのであった。

同じく、出入りする客先の会社で叱責シーンに出くわすと、視線のやり場に困ってしまう。
ええ歳したおっさんなので、子供っぽく目を覆うこともできない。
仕方ないので、凝視して、それについて考えることになる。

仕事は、遊びではない。
真剣勝負なので叱責飛び交うのは当たり前のことである。
叱責のない職場なんて、むしろ危なっかしい。
コミュニケーションの一様態と言える。

しかし、なかには叱責という言葉では言い尽せない場面に出くわすこともある。
直立不動で立たされ、浴びせられる言葉は、威嚇、恫喝。
目を覆うような血祭りの光景が繰り広げられるのである。

そもそも会社の従業員になるというのは、上命下達の世界で会社秩序に服し、労務捧げる身になるということである。
会社の風土が家庭的で上司も温厚ということであれば心地のいい居場所となるかもしれないが、そんなもの、妻をめとらば才たけて、みめ美わしく情あるみたいな話である。
一握りの選ばれた人間だけがそんな企業に就職できるのである。
通常は、有象無象相容れない人間がわんさかいて、それが上下関係を形成するのが会社のノーマルな相場だと考えた方がいい。
だから、会社というのは、場合によっては精神的な修羅場と化してしまうのである。

モノが高いところから低いところに落ちる原理で、常時、仕事、用事、雑事など何やかやが、竹や槍のように降り注ぐ。そこでエラーすれば即、NGビームを浴びせられる役回りに追いやられる。
組織では人間関係はじめ派生する変数が数限りなく、本質的な仕事以外の周辺部分でも何やかやあるので、竹や槍だけでなく、廃棄物や隕石など不測の落下物にも注意しないといけない。つまり、常在戦場、気が抜けない。

上司が人格者であればいたずらにビームも発しないだろうが、彼も同様の苦しい構図に置かれている場合、イライラを解消するように、鬱憤吐き出すようにサディスティックビーム乱発するかもしれない。
そしてビームだけでなく、敵軍士官とも見える上司の裁量、さじ加減で、捕虜は食事を半分に減らされたり、強制労働のノルマを増やされたりする。全権が他人の手中に委ねられているのである。

そして、挙句の果てに、「怒られて感謝せえ、怒ってあげたんや」とまで言われるのだ。
周囲も「言ってもらえただけ、ありがたいんやで、それだけ思いやってもらってるってことなんやで、ありがたやありがたや」と言葉を添える。

確かに考え尽した末の思いやりで徹底的に厳しく苦言呈するというケースも皆無ではないが、大抵は、イライラ募っての感情の暴発、垂れ流しでしかない。
行き場のない捕虜は、いくら吊るし上げても、どうせ過剰適応して尻尾振って従ってくることが分かっている。
マキャベリの入門書にも、「好かれるより恐れられろ」と書いてあったし。
一旦、感情をスッキリ排泄し、相手びびらせて、ついでに、恩まで売ればええ。これが人身掌握や。

上司も部下も、「愛のムチ」という名の聞こえだけはいい水洗便所に、感情の汚物を流して、上司は後ろめたさを、部下は反発心を、スッキリさせているようなものである。

その水洗便所は、会社という特殊環境のもとだけ機能するのだが、たまに社外で勘違いして、社内論理の刀抜いて、通りすがりの若者に、「おまえ誰や、けっ」とボコボコにされる部長風情もいたりするようである。社内外の線引きには気をつけないといけない。
スーパーマンがスクリーン以外では飛べないように、部長、外ではビーム出ません、と部下の誰かがいつか勇気出して忠言しないといけないだろう。

ところで、翻って自営の出入り業者はどうだろう。
例えば、急に肌寒くなった明け方、ロッキーよりも豆腐屋よりも新聞屋よりも早い時間に起き出して仕事にとりかかる自営業者は、三連休の空の快晴、秋の趣とは全く無縁で、書類を作り、書類を作り、そして、夜9時頃まで書類を作る。
おお三連休だ、大海荒波から束の間逃れ、陸地で骨休める至福の時、ストレスレスな3日間を満喫だ〜ラララなんて暢気なことを言ってられない。

そんな暮し、やなこったと思うかもしれない。
タイムマネジメントが間違っていると思うかもしれない。
しかし、いくらどうやっても何年模索しても、自営の出入り業者の仕事の在り方の基本は、これなのである。
そこらを歩いている人に時給1000円で書類作成を頼めるもんでもないので、自分でやるのが手っ取り早い。
休日は、平日の仕込みの時間であり、そこで手を抜くと、売り物のない豆腐屋みたい、平日を無為に過ごすことになってしまう。週に2日も世間が休みで本当に助かっている。

自営の出入り業者には顧客があって、顧客に対し「限定的」な仕事を、しっかり仕上げればいい。
力の片鱗を仕事の舞台でキラッと垣間見せるパフォーマンスができればいいいのである。
それ以外でええところを見せる必要がない。
会社のように舞台裏まで見得を切る必要がないのだ。

そして、会社のように、集団思考のもと丸裸にされた上で「総合的な間接評価(仕事以外も考慮された上司の査定)」に左右される世界でもない。
自営業者の場合、顧客の評価、直接評価が全てである。

いい会社は山ほどあって、そんなところで我が子に働いてもらいたいと思わない訳ではないが、心配性なのか、会社勤めについてのネガティブなイメージが消せない。
一従業員に主導権がなく、業務命令に服し労務捧げるという受け身の立場を余儀なくされる。
そして、幹部にまで上り詰められなければ、60過ぎてキャリアをゼロリセットしなければならない状況に直面することすらあり得る。
さらに、組織を背景に受けてきた敬意や関心は、そこを離れた瞬間、ご破算になりかねない。
嬉々として入っていくなどとんでもない、空恐ろしい世界だというイメージが拭えない。

できれば、脳の可塑性が十分高い子供時分から、勉強もスポーツも職業訓練の一環として捉え、会社には包丁一本サラシにまいて〜♬♪と出入りする程度で感謝される仕事人を目指すのがいい。
余暇があれば、友人の島田智明のように、自分の本質的な仕事の技能を磨くなり、更に勉強したり経験の幅を拡げて余技を育むなりすることが、習慣として身に備われば安心だ。
そしてそうなれば、仕事と遊びが無限に近づくような充実した職業人生になると思うのだ。