KORANIKATARU

子らに語る時々日記

記憶の鮮度

すっかり秋めいてきた。
朝、クルマの窓を開け休日の市街を走るのがとても気持ちいい。

秋から冬にかけて、人の記憶は深まるようだ。
記憶細胞のようなものがあって、秋気とともに働きが活発になって記憶が強く留まりやすくなる、そんなからくりが備わっているのかもしれない。
自然な連想でつらつら浮かび上がってくる記憶は、圧倒的に秋から冬にかけてのものが多い。
記憶貯蔵庫の開閉は、寒さと深く関わっているに違いない。

夏の記憶もないわけではない。
例えば、丁度お盆の頃に新婚旅行で観に行ったミリタリー・タトゥー。
夏なのに、エディンバラは寒かった。
毛皮のコート着た婦人を通りで見かけたくらい。
夜、エディンバラ城は、更に冷え込み、長袖シャツでは足らず、ホテルのバスタオルを肩にまとって観客席でぶるぶる震えていた。
その記憶は鮮明だ。
そして、イタリア料理を食べて、ワインに酔って、せっかくのエディンバラの夜、今生最も美しい街路を散歩でもすればいいのに私は寝入ってしまった。
その記憶も鮮明だ。

やはり記憶は寒さと親和性があって、寒さによって記憶はその瞬間凍結され、鮮度を保たれるのではないだろうか。

学生時代、東京は中野区野方六丁目で一人暮らししていた。
ある寒い夜、手元に一銭のお金もないことに気付き慌てたことがあった。
当時は24時間ATMもコンビニATMもなかった。
腹が減ってたまらない。明日の朝銀行が開店するまで辛抱できそうにない。

逡巡の挙句、鷺宮に住む久保君に電話した。幸いなことに久保君はアパートにいて、電話が繋がった。
身を裂かれるような思いで、かたじけない1000円貸してくれないかと頼んだ。
新青梅街道沿の「よむよむ」という本屋を指定され、そこに向かった。
寒い夜、新青梅街道を独り歩く。1000円借りる侘びしさは今も胸に強く留まる。

後にも先にも借金したのは、これだけである。
分割払いでモノを買うこともない。
それを買うお金がなければ、それは手に入らないと知らねばならない。

世には、時計やらクバックやら洋服といった個人所有物まで分割払いで買う人がいるが、借金体質に仕立て上げられ毟り取られる立場に追いやられるということに気付かないようだ。
現金ニコニコ払いができない買物を、分不相応な買物という。
束の間良い気分になるかもしれないが、結局自分の首を絞めるだけである。
借金体質は、不治の病となりかねない。更なる借金によって延命図るしかないので、人生の主題と思考の中心が借金のことだけに染め上げられる。
稼いだ端から持って行かれる人生というのは、つらいことだろう。

例外が一つあって、家についてはローンを組んだ。
これは世の中で唯一無二のものを手に入れるため、やむを得ず禁を破ったのであった。
得か損かという問題ではなく、その時その瞬間買うかあきらめるか、選択する必要に迫られた。
誰かが買った後では、同じものはもう買えない。
必要だと信じ、買った。
禁を破るにあたっては、その絶対性、希少性について考慮し尽くさねばならない。

そのようなケースを除き、欲しいモノを手に入れるには、働いてお金を貯める、これが鉄則である。
凄い金持ちのお客さんに、お金を貯めるコツについて教えてもらったことがあった。

自分が借金を背負っているとイメージするそうだ。
例えば、年初に、年末までに600万円の借金を返さな殺されると暗示かけ自分を追い込み、月々50万円ずつガチガチに貯金していく。
1年はあっという間で、年末には600万円貯まっている。
そして、何と年末の返済は絵空事なので、実際は返さなくていい。
これで手元に600万円残るという按配。
題して「エアー借金返済」。

そうなると、そのお金で好きなものを買おうという気にならないという。
欲しいものなんて、別に今の今欲しい訳でもなんでもない。
次なるエアー借金返済を行って、どんどん現金資産が増えていく。

ある程度まとまった額になると、石橋叩いて手堅い事業に出資したり不動産購入し賃料収入得るなどして、更に地道に資産を増やす循環に入っていく。こういうところで初めて、借金に意味が出るという。
つまり、お金がお金という友達を連れて帰ってくるような借金の仕方である。

その流れの中で、決して欲を掻いてはならない。
欲を掻くと、計算がアバウトになり、思考が粗雑になる。欲望で思考にバイアスがかかる。
資産が2倍、3倍になりますよとか、そんな話に乗らない。
あくまで、具体的で控え目な目標値のもとで資産を増やす算段をするのであって、儲かる可能性があっても振れ幅が不確定なものには見向きもしてはならない。
つまり、投資と賭事の線引きをきっちり明確にしブレてはならず、賭事には、些細なものにも手を出さないことが大事だという。そして引き続き、本業にも精を出して働き続ける。

今を遡ること二十年ほど昔、アパートを出て1000円借りるために寒く暗い夜道歩いた記憶は私の原風景のように意識の表層にあって、それが磁力でも放って吸い寄せたのか、金持ちの話がセットになって印象深く残っている。

ところで、最も印象深い記憶。
大学からアパートまでの帰り道。野方駅の踏切。肌寒いような薄暮の頃合い。
本を2冊小脇に抱えた青年が向こう側に立っている。電車が通過し踏切が開いて、すれ違う。
秋の夕暮れには、何をおいても本が似つかわしい。そう刻み込まれる1シーンであった。
ずっと鮮明に残り続ける1シーンである。

秋の気配を感じつつ、本のページを繰りながら、美味いラーメンでも食べる。
これが究極の悦楽だ。

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