KORANIKATARU

子らに語る時々日記

オペルに乗った火山の卵

仕事が一段落し、日曜夕刻、事務所で弛緩。
ちょうどFM802ではSunday Sunset Studioの時間だ。
radikoを開く。

遥か昔のほんの短い期間、延べにすれば数える程度かもしれないが、週末となれば家族伴い赤のベクトラワゴンであちこち出かけた。
やたらクルマが故障したという思い出に並んで、山添まりのSunday Sunset Studioが記憶に根深い。
家族で遊んで過ごした楽しい日曜が終わって、さあ明日へと差し掛かっていくような薄暮の時間帯。
お家へ向かう道中に懐かしのナンバーがとてもよく馴染む。
今でも、日曜の夕方に家族連れのクルマを見かけると、しばし目を閉じSunday Sunset Studioの余韻に浸ってしまう。

とても幸福な時間であった。
しかし当時、それに満たされることを良しとせず、独り仕事に明け暮れるだけの、未開のしじまに分け入っていくような生活を選択することになった。
家庭は母子家庭さながらであったが、幸い家内は私より数段運転が達者で、遊びたい盛りで落ち着きのない幼な子をあちこち連れて行き、何とか子育てを全うした。

それが我が家の根幹を為す基本スタイルとなった。
日曜だからといつもつるんで遊ばない。
子は子でやることに向き合い、父は父であれやこれや忙しい。

時にタイミングが合えば、徒党組んで食事に出かけ、旅を満喫し、そしてしかる後またそれぞれの持ち場に還って行く。
物心ついてからは、各々取り組むべき何かがずっとあるという状態が我が家の自然体である。

時間潰しにしかならないようなおめでたい物見遊山に興じたり、どこまでも大衆的な虚構に夢うつつ甘ったるく刹那的な享楽に耽ったり、はたまた、ゲームやテレビなどに釘付けになって生まれたばかりでまだまだこれからなのに余生を過ごすかのような無為を託ったり、そのような受け身すぎる、嫌な事に片時も向き合わずに済むような、あれやこれやとっ散らかった何事かを差し出され続ける世迷いな状態に決して置いたことがない。

おちんちんのついた男の子であるから、頑丈堅牢な主体性という太い芯が一本通っていないとお話にならない。
静かで何の変哲もない地味な日々、カラダを鍛え、自然に触れ、タイガースを応援し傷つき、勉強も欠かさず、コミット要するアクティビティを通じ、仲間だけでなく大人含めた幅広い層とコミュニケーションも深めてきた。
振り返れば、いろんな場所、いろんな活動に、家内が子らを放り込んできた。

じっくり時間をかけて地殻がしゅう曲し、重厚な存在感放つ、秘めた勢い猛々しい活火山のような人物がいつか姿を現すことだろう。

どのような姿形であれ、それが尊い個の現われである。
一切怯む必要などないし、外野の野次に耳を貸すこともない。
訳の分からないことはほどほどに、自らの個性を空っぽになるまで夢中で噴き上げ思う存分人生を謳歌することである。

目を閉じると威勢のいい噴火の轟音がじわじわと響き迫ってくる。
FMのBGMなど記憶の底へとかき消える。
チャイルドシートにちょこんと座る小さな君たちの姿がそこにある。

火山の卵たちと過ごしたあの懐かしいオペルでのドライブは本当に楽しかったよ。