このところクルマに乗る機会がめっきり減った。
新しいクルマが来ればちょっとは気持ち高ぶってハンドルを握りたくて仕方がない。
そんな気持ちになるのかとも思ったが、火曜から今日金曜までの4日間で運転したのはのべ30分。
クルマの入れ替えのときと買い物の付き添いのときの計2回乗っただけであった。
わたしよりはるかに運転の上手い家内にしても、ほとんど乗らなくなった。
だから家内専用の一台はエンジンさえかからぬようになって久しく、それでも不便がないのでそのままとなっている。
見栄えの悪いわたしのクルマを追いやるようにし家内専用のクルマが玄関先に鎮座したのは3年前のことだった。
当初は重宝した。
が、ここ1年以上はクルマというより玄関を飾るイカツイ置物、そんな存在と化している。
クルマについて家内と話していて、乗らなくなった理由について考えが一致した。
子の送迎がなくなったから。
それに尽きるだろう。
暮らしの中心に子があって、いまもそれは変わらない。
しかし、子はぐんぐん成長し、どこへなり自分で行けるようになった。
おまけに長男はいま東京で暮らしている。
すべてに渡って親の出る幕は減少の一途を辿り、送迎の用など滅多なことでは生じない。
かつては塾やラグビーや学校や事務所、各所へ送り迎えするのが日常だったし、不意の送迎もあり得た。
だからクルマで動くというのが基本中の基本になっていた。
子ら二人の送迎のためわたしも動くし家内も動く。
つまり、送迎パトロール隊として常に二人が待機しているようなものであるから、クルマ二台というのが合理的な体制であり実際有効に機能した。
いまでは送迎自体がなくなって、食材調達のため夫婦で遠出するときか二男の試合観戦のときくらいにしか使わない。
だから長男に続き二男も巣立ってしまえば、ますますもっとクルマに乗らないという流れになりかねない。
あるいは、すっかり子育ての手が離れれば、週末毎に夫婦でクルマ飛ばして旅行するといったようなことになるのかもしれない。
ともチラと思うが、やはりそれはないだろう。
昨夜家内は二男のためにマルセで買った牛肉を焼き新米を雲井窯で炊き、今朝はわたしが昨夕買ってきた川繁のうなぎを丼にし、そこにテールスープを添えた。
朝5時に二男はそれを平らげ、携える弁当の主役は牛すじこんにゃくで脇を卵とうずらとフルーツトマトが固めた。
いずれも丹波の道の駅で買った食材での弁当であるから新鮮でかつめちゃくちゃ美味しい。
息子二人ともが東京に行けば、家内は作り甲斐を求めて東京に入り浸ることになるだろう。
そう思えばこの家のクルマは一台で十分足りる。
クルマひとつ取っても、そこに暮らしの景色が映り込む。
見つめればクルマのボディがスクリーンとなって我が家の歴史が映写されるかのようである。
長く働いた普段使いのクルマがお役御免となって新旧入れ替わり、数年前にやってきた家内のクルマも何かを見届けるかのようにそこに座したまま動かなくなって役目を終えた。
耳を澄ませば、それらクルマたちがもの言いたげに何かを示唆しているのが汲み取れる。
同じように暮らしているように思えて、実はその背景ではいろいろな変化があった。
思いがけないことであったが、クルマというアングルを通じて見たとき、人間関係をはじめ何が変化したのか、また現在地点がどのようなものであるのか鮮明に見えてきたので驚いた。
たまには視点を変えてみる。
それで気づきが訪れ、いろいろなことが腑に落ちる。
案外大事なことであるとひしと感じたので、今日はクルマについて日記に書いた。