荷物の到着が午後7時。
だから6時45分にはジムでのトレーニングを切り上げた。
買い物もせず真っ直ぐ自宅へとクルマを走らせる。
運動前は疲労で瞼がピクピクし始めていたが、全身に熱い血が巡ってすっかり回復。
カラダを動かすことは素晴らしい。
この日もそう実感した。
ジムを終えた直後、幸福感がピークに達する。
家内とそんな話をしているとき、ヘッドライトが照らす小雨が思考を過去へといざなって、昔の記憶が甦った。
そう言えばプールで泳いだ後も同等の爽快感があった。
筋トレと同様、血流がプールで揉まれ弾んでカラダ全体が息を吹き返した。
子らが園児から小学校高学年に至る時期、子らの送迎がてらしばしば夫婦でプールに出かけ半時間ほど泳いだ。
時には子らを連れ4人で泳ぐことも結構あった。
黙々と泳いで水中ですれ違うだけだから、余暇の過ごし方としては一風変わっていたかもしれない。
プール行脚は断続的に10年続いた。
銭湯の背景に富士山があるように、わたしと家内の歴史の数ページのバックにはプールが横たわっていることになる。
いつしか子らがプールに通うことがなくなって、おのずとわたしたちの足も遠のいた。
このことからどのページにおいても、結局うちの家では子らが主役だったということが分かる。
泳いだ時の心地よさを思い出しながら、家内に話を向けた。
今度、プールに行こう。
家内の答えはイエスだった。
まもなく自宅が近づき、配達予定の5分前だったが、宅急便のクルマがすでに待機しているのが見えた。
受け取ったのは家内のセーター。
これが上品で洗練されたデザインで、家内にぴったりフィットした。
服が着る人を選ぶ。
そんな部類のタイトなセーターと言えた。
着る人の知性と精神性が、そのシルエットにかたどられているも同然だった。
そんな賛辞を送りつつ、わたしはハイボールをお代わりし、食卓に並んだ八宝菜、カレイの煮付け、揚げ出し豆腐、イカの姿焼きに箸をつけ、即興ファッションショーに見入った。