KORANIKATARU

子らに語る時々日記

SNSには不向きな性分だったようだ

日曜の始発なのに甲子園口のホームには大きな旅行カバン携えたカップルや家族連れがすでに5、6組はいて、旅情がほのかに香り立つ。
朝の匂いに混ざって遠い大地への郷愁がかき立てられるが、私は例の通り海老江の仕事場に向かわねばならない。

横目で観察したところ、みながみな一泊二日といった程度のお出かけではないようだ。
クリスマス休暇とお正月休暇を合わせた長期の休みなので遠方へ出かけるのですよ、といった趣き感じる荷物のかさと表情である。

こじんまりと地味で静かな甲子園口であるが、実はたいへん利便に富む駅で新大阪まで一直線でたった5駅であり、飛行機に乗るのであれば二駅行けば尼崎改札前から空港リムジンに乗り込むことができる。
もし私が他地域から関西に赴任するなら、どうあっても甲子園口で住まいを求めるだろう。

事務所でFMを流し、時間を計りながらすぐに仕事に着手する。
早くかたをつけてさっさと帰りたい。
今夜は家族で鍋を囲む。
商店街に名店とも言える焼鳥屋があって、家内が最高の食材を買い込んでいる。
私はワインを買って鍋に合流するのだ。
もちろん食われる側ではなく食う側としての合流である。

FMからはこれでもかというほどのしつこさでクリスマスソングばかり流れてくるが、その曲に慰撫されるように仕事に勤しむのも乙なものである。
休日仕事のいいところは全く邪魔が入らないところだろうか。
心ゆくまで自分のペースで取り組める。
進捗具合を振り返りながら味わう珈琲の味は格別だ。
とても静かな心持ちとなる。

そう言えば先日、facebookのアカウントを削除した。
いつも身近にあった世界が急に消え去ったようであたりが静まり返っている。
facebookがあればいつでも友人や仲間その他素晴らしい方々との交流の場にアクセスできた。
そういった場をかたわらに携えながら過ごす一刻一刻はとても居心地が良く心丈夫で、息み通しの仕事の合間合間、私にとって一服の清涼剤であった。

クローズドで制御可能な人数の範囲を保っていれば発言について言葉尻を捉え合うような不毛なトラブルも生じ難い。
ややこしいコミュニケーションが発生することもない。
柔らかな繭の中にある快適さである。

生来の性格もあって、そういった場で私は多弁となってしまうのだが、多弁症の者が居心地のよさを感じるというのは、これは仇としかなりえず非常に危険な状態であると自覚しなければならない。

千鳥足の酔っぱらいみたいに自己採点はいつだって甘くなり、自分はちゃんと分別をわきまえていると強く自負し強弁するけれど、時すでに遅し、幼児的な退行現象が進行し始めている。
退行が進行、ややこしや、まさにドツボであり、中毒まであと三駅というところだろうか。

六次の隔たりと言うように、たった6人たどるだけで世界の民すべてにつながるのである。
クローズドだと言ったところで、すべての道はローマに通ず、公衆に向かって発言するのと実は大差ない。

言葉遣いにいくら気を付けたところで、言うべきことと絶対に言わないことを心得ていると信じていたところで、マイク握って離さないような一言多い御仁にとってはトラブル発生は時間の問題だ。
下手の鉄砲数うちゃ当たるのである。

結局は一番身近な存在である女房が察知予感して、お縄頂戴、即削除ということになったのであった。
そのまま続けていても何ら問題など起こらなかっただろうし、交流する益の方が大きかっただろうと私自身は確信しつつも、結局のところゆくゆくは人としての基本作法に立ち返ることになったのかもしれないとも思う。

静寂の中あるいは怒気怒号飛び交う喧騒の中、いにしえより男はまず黙っているのがニュートラルな状態なのだ。
はしゃいで無駄口たたくことで男をあげた者などおらず、何かが実を結ぶ事もない。

では黙るかさえずる程度でfacebookの場に佇んでいればいいではないか、という意見も考えられる。
しかし、ちょうど、誰が友達で誰が友達でなくといった分け隔てにも倦んできていた。
しょっちゅう顔合わす肉親や身内、いつも頼りにしている顧問先の職員の方々、未知の飛び込み者などはfacebookのともだち対象ではないと自分なりの基準なども考えていたが、自分の都合で領土のない世界に新しい線を引くのは不本意であり気の進まないことであった。

非友達だと線引きするつもりは毛頭なく諸事情考えてだけの話に過ぎなくても、「対象ではない」なんて一体何様だというおごった思考であり、そんな感覚に感染することはあまり推奨されることではないだろう。

それで一言の挨拶などもする間なくやむなくぶちっとその世界からおいとましたのであったが、お出合いした方々の誰ひとりとして忘れるはずはなく、この地上で続くこの先何十年の奮闘のなか、また相見える機会があるに決まっており、どうか事情を察していただき、引き続きご厚情賜りますよう心からお願いする次第でございます。