1
事務所近くに阪急オアシス福島玉川店がオープンした。
店内は広く品揃えも豊富、それに店員が親切だ。
電話で家内の注文を聞きつつ、興に乗じて目につく食材をカゴに放り込んでいく。
買い物が楽しい。
そして鮮魚は野田新橋商店街の満海。
そこで新鮮美味な魚を調達すれば、後は家内に託すだけ。
週末夜の食卓は以上で全て整う。
2
が、帰途、西宮バルが開催されている、と家内からメールが入る。
食材は揃っているが、催し事が優先だろう。
駅で待ち合わせし、バルのマップ片手に行き慣れた街を行く。
500円か1000円で提供されるバルメニューはどれもこれもお得感満載である。
甲子園口界隈に軒連ねる飲食店は数限りなく、目移りしつつ、家内の先導に従い暖簾をくぐる。
とおのブックらんど前のUMENOを皮切りに、結局、串笑門、とり花、縁口、焼鳥はる、ル・コクリコと6軒はしごした。
たった6軒回っただけだが、こんなところにこんな美味い店があったのかと蒙が啓かれた。
街の色彩が更に豊かになったようなものである。
UMENOは夫婦で気楽に食事しワイン飲むのに格好だ。
串笑門という店を知らなかったが、串かつが絶品であった。
これは必ず子らを連れて行かねばならない。
ニンニクタレの風味香ばしいとり花は一人酒の場として気楽に立ち寄れる。
そして、エトセトラ、エトセトラ、である。
甲子園口において訪ねたい店は6つでは収まらない。
灯台下暗し、地元に数ある名店が日頃の暮らしを今後更に彩ってくれることであろう。
次回、バルの企画があれば、事前準備欠かさず本腰入れて臨むことにする。
バルを巡る途上、商店街の名店で塾帰りの二男のために焼鳥を買い、味包で明日スキー合宿から帰ってくる長男のために唐揚げを買った。
せっかく通りかかったのであるから、子らの好物は外せない。
身近すぎて気付かないだけであって、案外、美味いものだらけの地元なのだと再認識する時間を過ごせた。
3
帰宅し、スサンネ・ビアの「アフター・ウェディング」を見る。
子を持つ父ならば、誰であれ号泣ものであろう。
男子の愛情というものはこれ見よがしのものではなく、こうまで内に秘めたものであるべきなのだと深く学ぶことができる。
映画のなか、心の琴線を鷲掴みされ感涙にむせぶ、という時も時、家内が一言漏らした。
「名演技やなあ」
この一言で、映画の世界から一気にベタな日常に引き戻された。
いざ奔出と出番に備えたお涙の雫達はお役御免、すごすご奥に引っ込んだ。
4
二男の塾について家内と話す。
最終学年となった段階になって、算数講師の布陣が大きく変わった。
慣れ親しんだ講師が外れて、鳴り物入りの精鋭だとは言うけれど未知の講師陣が配された。
テキストなど形式知は同じであり、講師のレベルも遜色ないどころかアップするのであったとしても、その先生あったればこそという信頼の源であったような暗黙知的資源が代替されるのか不安が募る。
これまでの在り方で十二分な評価に値したので、さらに「良くする」という手立ては、現象面では反作用として働く可能性の方が大きいのではないかという懸念が拭えない。
これまで1足す0.8で1.8であったものを、良かれと策を打ち、1足す1にしても結果が1.5となった場合にはどうするのかという善後策は考慮されているのであろうか。
今回の改編が果たして吉と出るのか凶と出るのか、プロ野球のペナントレース占うみたいに呑気な構えではいられない。
ことは他人ごとではなく、一回限り、取り返しのつかない一年を送る当事者の立場である。
「大吉になるかもしれない」と「これまでどおりの吉」を天秤にかければ、後者を好ましいとする声が多数を占めるだろう。
これまでどおりの目標設定を前提とする父兄の一人として、せめて「これまでどおりの要素のいくらか」は残すよう検討配慮されるべきとの声くらいは伝えに行かなければならない。
5
今季最強級の寒気が日本列島上空に流れ込んでくるという。
事務所南側の窓に向かい、うららか春の陽光をほしいまま浴びて日記を書く今、寒気といっても実感わかない。
6
週明け月曜滑り出しの支度を終えた。
ふと「アフター・ウェディング」のヨルゲンが直面し、そして決断に至る孤独なプロセスを想像してみる。
最期の時は誰にでも訪れる。
もはや逃れられない、と追い詰められた時、私たちはどのような「愛情」を後に残すことができるだろうか。
漠とした想念のみが頭を巡りその問いがじわじわと沁み入ってくる。