KORANIKATARU

子らに語る時々日記

そんな男が一人いるだけで女性はどれだけ楽になるだろう

入学式明けの代休の日、長男は単独で遥々東大阪の釣り堀に出かけた。
生来の狩猟家気質なので虫取りや釣りのことを考えると居ても立ってもいられなくなる。
彼にとっては狩りに出かけるようなものである。

中学入学のご祝儀か最高の釣果に興奮しすぎて腕時計を池ポチャしてしまったという。
釣りという魚との真剣勝負の時を過ごす彼にとって退屈な時間を刻むだけの腕時計なんてどうだっていい。
意気投合した店番のおばさんが親切に網で探してくれるが見つからない。

電車通学する中学生にとって腕時計は必需である。
急遽買いに行かせたところ、これまでのスポーティーなものから一転し、おやおやという程に大人っぽい時計を買ってきた。
どうやら007の影響だ。
スカイフォールを観た後で007のDVDを幾つも観ていた。
身につけるものについて相当な影響を受けているようだ。

これで大人になった時に訳の分からない色のスーツやシャツなどは買わないようになるだろうが、「青い憧れ」を野放しにして一流の持ち物に走ればとんでもなく嵩の高い人間になってしまう。
買えるから買う、そんな単細胞な論理に身を任せてはならない。
収入にかすり傷さえ負わない範囲でほどほどにするべきである。

おカネがいくらでもあれば選択することはおろか考えることさえも不要で、2つでも3つでも何でもござれだけれど、しかし、悪いことは言わない、余計なことは思わずゾロメゾフスキー教授の言に従い、我が家系の強みとして地味目のゾロ目を継承しておくことである。
超お金持ちになるようなレアケースを前提に物事考えても実際的ではないのだし、おつむが太平楽に染まってしまっては末代まで祟る。

無為になるよりはと延命治療を拒否し遺したどこまでも重いお金を棚から牡丹餅よろしく場末のあばずれに貢いだりマカオの賭場でシャボンはじくみたいに散財したりするような穀潰しが現れないことを祈ろう。

と言いつつ私自身、高価な腕時計をしていた時期がほんのちょっとあった。
物神崇拝マジックで、自分が少し偉くなったような、ちょっとしたものに思えるような、吊り革持つならそっちの腕だろうという、何ともイージーでちゃっちい得意満面気分を満喫していた。
おお、こっ恥ずかしい。

あるとき、優に一回り以上は値が張るだろうという同種類の時計した広告会社勤務風の青年が電車の前の席に座っていて、目を見合わせ、時計を見合わせた。
負けである。
ふんっ、つまらない勝負だ。
そんな勝負しに世に生まれた訳ではない。
男子としてヘラヘラ虚飾身にまとう気恥ずかしさを痛く思い知った一場面であった。

古くからの言い伝えどおりにやっておれば間違いないのだ。
中身で勝負、男はチャラチャラするべからず。

では、女性はどうなのだろうか。
先日の入学式、賑わう雰囲気の中に、えっ、春美ちゃん、と思わせるような人がいた。
春美ちゃんというのは私が小学生の頃に大好きだった女子であるが、その面影を彷彿とさせる顔立ちの女性がいたのだった。
自然と身なりに目が行く。
そこそこちゃんとしている。
長身でマスク越しにも男前だと分かる夫と、かわいいお嬢さんを伴っている。
幸福そうだ。
良かった良かった。

このように、女性は身なりだけでその現況を断定されてしまいかねない。
だから女子にとって着飾ることは、見栄といった次元の話ではなく、沽券にかかわる重大事だ。
女子は着飾る。
着飾れないからといって全くの不幸ということはないだろうが、着飾れた方がいい。
三つ子の魂百まで、蝶よ花よ気質を根絶するのは無理である。

男の甲斐性でどこまで貢献できるだろうか。
衣食まかなうのを手始めに、家を買い、クルマを買い、教育費を払い、保険に入り、旅行に出かけ、先々を思い執念で貯蓄にも励む、ここまででも相当に大変だ。

そこまでであっても、そんな男が一人いればどれだけ頼りになり、女性はどれだけ気が楽になることだろう。

ここから更に装飾のためのお金を捻出するなんて、男にすれば目に見えない鉄鎖を結わえられるようなものであるが、筋力あれば何でもない程度のことなのかもしれず、そこまで甲斐性あれば鉄鎖も装飾品の一種となり富みの象徴にまで昇華する。
なるほどアクセサリーの起源は鉄鎖であり、装飾と束縛は一対の概念であるということも腑に落ちるような気がしてくる。

せめて鳴かず飛ばずとはならないくらいには貢献してあげたいところである。

釘を刺して置かねばならないが、支出の順番を誤ってはならない。
衣食住もフラフラなのに装飾に手を出すなどもってのほかであり、しょっちゅうそのように唆されると感じればその瞬間に背を向け他をあたるべきである。
予算に限りがあるのに支出順位の価値観に埋めようのない食い違いがあれば一緒に暮らすことは困難を極める道行きとなるに違いない。

流されてしまって順番を誤り誇示的な金持ちごっこに付き合うと思いがけず周囲を傷つけたり反発を買ったりするだけでなくお金持ちへの道は遠のくばかりで夢は枯野を駆け巡る、これは星のしるべ33期資産家研究会の統一見解でもある。

入学式の場でも見渡せば、富裕な雰囲気漂わす方々の一方、分相応で質実な知性感じさせるような方々も大勢見られた。
甲斐性があれば言うことなしだが、人知の範疇外のことでもあるので、千に一つというレベルの甲斐性目指すのも酷なことである。
分相応な中の平穏さをともに分かち合えるような人と巡り合うことが大事なことなのだろう。