夜が明けて、雨が雪に変わった。
窓の向こうに雪が舞う。
心を捉えるその景色にしばし見入って、家内が言った。
もし裕福だったら、スキーを楽しむ家族になれたかもしれない。
裕福からはほど遠く、かつ生来の寒がり。
わたしのせいで家族は白銀の世界に触れることなく、スキーというホモ・サピエンス固有の楽しい世界とは無縁になってしまった。
スキーが上手でゴルフの腕前は相当なもの。
そんな家内であったが、結婚した相手がこれであったからどちらからも遠ざかることになった。
幸いなこと運動神経自体は子らに伝わり事なきを得た。
運動音痴の男など目も当てられない。
家内のおかげで助かった、と言っていいだろう。
またそれだけでなく人並みの知能と勤勉さも家内のものが伝わった。
頭はともかく怠け者だとこの世はきつい。
だからこれもまた幸運なことであったと言えるだろう。
俗説かもしれないが、息子の能力は母親からもたらされると言われる。
もしそうなら、あとでジタバタしてもどうにもならず、母が誰かで勝負が決まる。
そう暗に予感しているからだろう。
息子が否定されるのは母自らを否定されるのも同然。
子らを通じた母の代理戦争は熾烈を極めることになる。
母のエゴに端を発する重圧や軋轢といった皺寄せはすべて子らに行き悪循環が悪循環を呼ぶ。
とんだ尻拭い役に駆り出されるようなものであるから、生まれ出た命はいちばんいい時にこの世を謳歌するどころではなくなってしまう。
次第、雪が積もりはじめ、外の明度が更に増して行った。
答えは明快。
父ではなく母。
その恩恵。
うちの子は、わたしの甲斐性無しが原因でスキーに慣れ親しむことはなかったが、余計なエゴに小突き回されることなく幸福な少年時代を過ごし引き続き幸福継続中だと言えるだろう。