上方温泉一休の湯でカラダを暖めてから二男の迎えに向かう。
クルマのHDDに昭和歌謡を百曲ほど備えたばかりだ。
二男を手始めに今夜から子らの耳に聴き馴染ませていくつもりである。
風呂上がり窓を開けクルマを走らせる。
日中は汗ばむ陽気でも夜風はほどよくヒンヤリし湯上がりの火照りに丁度いい。
数々の懐メロが車内に流れ満ちてゆく。
なんて幸福なのだ。
そうそう、これは必ず君たちには伝えておかないといけない。
仕事でバタバタしてようが毎朝早くから事務所に向かっていようが、気がかりな事は家で体重計に乗せられることくらいであとはめくるめく、は言い過ぎにしても、まずまず幸福な時間の連続ではあるのだ。
金銀降り注ぐようなド派手なスケールの幸福とは縁遠くても、何となく気分がいいという程度には小市民的幸福は感受しているということである。
昭和歌謡を聴くという日本語体験を通じ、百の名曲のうち幾つかが君たちの胸に残り、そこで歌われたフレーズや言葉が君たちの中で発芽しいつか大事な場面で君たちに使われることがあればと思うだけでニヤケてくる。
歌謡曲であれ何であれ、伝える、という役割を果たすことこそ親冥利に尽きるのだね。
そこに用途が生まれればそりゃそれで大満足さ。
そう言えば、章夫の誕生日である4月4日はいつの間にか過ぎ去った。
その日44歳を迎えたこの友人は公認会計士的なほどに希有で混ざりっ気のない純度百%のゾロ目を若く見目麗しい奥様に手厚く祝ってもらったことだろう。
ロシアのゾロメゾフスキー教授は言い切った。
ゾロ目は、伝わり受け継がれてゆくことの幸福を直感させる。
だからこそ美しく、その美しさはゾロ目の行間にこそ宿る。
例えば、丹波で私たちは家族4人で「しし肉」を食し、それは4月6日であったので、あと一歩で4が4つ並ぶ章夫を上回るゾロ目だと勘違いしやすいが実はここには2も9も隠れており、この一例からも推し量れるように最後の最後まで一貫して4を揃えるなんてまさに神技の域なのであり、いくつか混ざりつつもゾロ目が続くという予兆が行間にあるだけで僥倖、魂震える程に感動的なのだ。
かつて私が近所のボロ駄菓子屋でチープなチョコもどきを買って食べていたのと同じ歳の頃、岡本先生らが家に集まった際に谷口先生が岡本で買ってきてくれた葉っぱ型の高級チョコを気軽についばむ君たちであり、そこには埋めようのない深い断絶があるけれど、昭和の歌謡曲はじめいくつかでもエッセンスが伝わり更に伝わり不完全であってもゾロ目が予感さえできれば父は幸福なのである。
二男が信号を走って渡りクルマに乗り込む。
いよいよ昭和歌謡の始まりだ。
モーニンモーニン君の朝だよ、、、飛んでイスタンブール、、、昭和歌謡の和語が奏でられる。
反応がない。
塾での出来事について二男が話始める。
山口百恵にだけ僅か反応が見られた。
塾で女の子に話しかけられたよという段になって、むしろ音楽が邪魔になってきた。
ボリュームを一気に下げる。
昭和の歌どろこではない。
その昔、二男が望遠鏡で月を捉え私に見せてくれた。
月の表面には何もない。
ただデコボコが茫洋と広がっている。
代わる代わる望遠鏡を覗く私と二男のかたわらで長男が学校の話をワイワイし始める。
月面にはそんな楽しいガヤガヤはない。
いつしか私も二男も長男の話に吸い寄せられ月どころではなくなった。
君たちの話が一番。
そこを埋めるものとして月面があり昭和歌謡曲があるのであった。
次回、じっくり聴くこととしよう。
英語でも聞かせればと家内は言うだろうがしばらく我が車は昭和歌謡を乗せて走ることになる。