KORANIKATARU

子らに語る時々日記

腕白坊主が母の日にした贈り物1


連日長距離運転が続き眼がピクピクする。
面談の際、こちらは真剣に話していても眼がピクピクするので何かウソでもついている印象を与えはしないかと心配になる。
まばたきの回数が増えたり、鼻を触るといった仕草からウソが探知できると聞いたことがある。
眼がピクピク痙攣しているなんて、いかにも怪しい。

帰途上方温泉一休に立ち寄る。
熱々の温泉が目当てだ。
この熱さに与れるのは他には芦屋温泉くらいだろうか。

ぬるい湯などには目もくれない。
あっつ、と身をよじり顔歪めてカラダを沈める。
ほどなく、くたびれた全身に熱さがしみてくる。
至福の声が漏れる。
やめられない。


烏の行水を終え、潮の香薫る夕刻の風にあたりながらクルマ走らせ酉島のコンビニで飲み物を買う。
この広い駐車場には日替わりで面妖な顔ぶれがたむろしている。
この日は、入り口付近で地元の女子中学生十数人ほどが地べたに腰をおろし車座となり座談会をしていた。

買い物を終えてコンビニから出た途端、やかましい嬌声が沸き起こる。
横を過ぎるとき、不快な視線がまとわりつくのを感じる。
蜘蛛の巣が顔にひっついたかのような感触だ。
ケラケラ、キャッキャキャッキャとノイズが一段と大きくなる。

構わずにクルマに乗り込み発進させる。
女子中学生らの横を通り越し、左折する。
曲がり終わりアクセル踏んで公道をまっしぐら駆け出すその一瞬、チラとそこを見た。
全員がこっちを見ていて視線が合った。
車座が立体感伴うほどにユサユサ波打ち、どっと沸く。

思い過ごしなどではなく、お笑いぐさの餌食となったのは間違いなく私であったようだ。

学校の部活を終えた後、コンビニに立ち寄って友達らと寸暇を惜しむように話し込む。
空は清々しい程に広く明るく、夏を思わせるかのような陽射しで地べたは床暖房してるみたいにホカホカだ。
家にこんな場所はない。
薄暗く、散らかり放題で、母ちゃんはしつこいくらいに同じような小言を繰り返し、親父は聞こえるはずもないのに画面の向こうのタイガースの選手に赤ら顔で捲し立てている。
ずっとここで過ごしたい。
そう思って、話題が途切れぬよう頭に浮かんだことを何から何まで俎上に上げる。
そこへ現れたハゲでデブのオッサン。
飛んで火に入る夏の虫、とはまさにこういうことを言うのであろう。


のろのろ走る車列が伝法大橋に差し掛かる。
淀川河口の水面はキラキラ夕日に映え美しいが、目を凝らすと、重量感たっぷりに嵩ある波がうねり水量の底知れない分厚さが圧迫感すら伴い伝わってくる。
ここに落ちれば達者な河童でも助からないだろう。
まして人間などこの波と水流に太刀打ちできる訳がない。

表面が美しく、しかし、水流と水圧に翻弄される。
知人の顔が浮かび、淀川と家庭の修羅場という類比が浮かぶ。
しかしつまらない思いつきは波が押し寄せ一瞬でかき消える。
比べるべくもない。
淀川のうねりは、恐怖感込み上がるほどに圧倒的だ。

ここに人が落ち、助けに向かって命を落とすということがなぜ起こるのだろう。
冷静に判断すれば、常人が敵う相手ではない。
それでも目の前で助けを求める人がいて、その場面に居合わせたら、何とかなるとイメージできてしまうのだろうか。
イメージ以前に、助けようと本能的な衝動が作動し、それに背を押されるのだろうか。
しかし、それでも水の怖さに足が竦むのが普通だろう。
大半の人は、何とかしたい、しかし、どうしようもない、という葛藤の狭間でもがき、そして見過ごすということになるのだろう。

つづく