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次なる頼みの綱が「朝食抜きダイエット」であった。
ある会社の会議に出席したときのことである。
ちょうど12時開始なので、弁当付き、もしくはどこかで昼食を摂りながらの会議だと思い込んで臨んだ。
ところが、12時からぶっ続けの会議にも関わらずコーヒー以外何も出ない。
皆さん、お昼は済まされたんですか?
と聞き、返答に驚いた。
その会社の幹部連中は揃いも揃って、一日一食生活を続けているということなのであった。
夜は好きなだけ食べる。
その他、朝昼は水分以外一切口にしない。
みる間に痩せてスリムになるという。
まずは朝食を抜きなさい。
社長に勧められた。
朝食はそれほどがつがつ食べたいわけでもないだろう、その朝食を我慢すれば血糖値が上がらないので、空腹を感じなくなる。
朝飯を食べるから、上がった血糖値が下がってそれでお腹が減るのである。
それでしばらく「朝食抜き」を試みた。
しかし、これも中途半端にやったりやらなかったり、やがて業務に追われいつの間にか永遠の先延ばしとなった。
ハードな書類作成にあたり、朝の黄金の時間、飯を食わねばエンジンがかからない。
忙しさはやまず「朝食抜き」は守られることのない空疎な戒律と成り果てることになった。
5
数々の失敗の遍歴を繰り返し、ようやく辿り着いたのが糖質制限ダイエットであった。
これほど確かな手応えを感じるダイエット、実際の成果を実感できるダイエットは今までなかった。
驚くべきことに、糖質制限食だと空腹感に苛まれることがない。
それまでは食べた矢先から腹が減り始め、次は何を食べようかと思案巡らせる日々であった。
それがなくなった。
朝、普通に何か腹に入れる。
時間がすぎれば空腹感を覚えるが、それは決して差し迫ったようなものではなく、食べてもよし、食べなくても何とか凌げる、といった「余力のある空腹」といった具合である。
外出先で美味そうな店を見かけても入ろうと思わなくなった。
せっつかれるような食欲からは解放された、どうやらそのようである。
あれほど焦がれた、白飯、うどん、蕎麦、ラーメン、パスタ、ピッザなどへの渇望が生じない。
その代わり、以前に増して食材の風味が分かるようになってきた。
制限がある方が、味覚が洗練され美味のエキスに鋭敏になるのであろう。
家内監修の料理を朝昼晩、三食食べる。
卵やチーズ、肉、魚、それに野菜、あれやこれや工夫凝らした調理で出されるものを満足行くまで平らげる。
鍋あり、刺し身あり、焼き肉あり、ハンバーグあり、何か不足を感じることもない。
夜はウイスキーか焼酎を飲み、一日の終わりは紅茶で締める。
水がおいしく、お茶も味わい深く、紅茶で疲れが癒える。
家内は大変だろうが、私については何の苦もなく体重が減っていく。
6
ただ、糖質制限ダイエットを始めた当初は、脱力感に悩まされた。
階段上がる際、足腰の筋肉にキレがない。
ものを持つ際の握力だけでなく、思考においても物事がしっかりグリップできていないという感覚が続いた。
たまたま繁忙期が止んだ後であったので支障はなかったが、このような頼りない状態が続くのであれば、どこかで自分にタオルを投げ入れ糖質制限ダイエットをやめなければならないと考えはじめるほどであった。
しかし、どうやら、脱力と倦怠は一時的な過渡的現象であったようだ。
今では、プールでもラクラク泳げるし、足取りも軽く、仕事も集中してこなせる。
何も問題はない。
もちろん、長期的にはどのような作用反作用があるのか定かではない。
一万年もの長きに渡って人類は糖質を頼りとしてきた。
人類の長寿化とも因果関係があるのかもしれない。
当面は糖質制限をこのまましばらく続ける。
体重がある程度落ち切ったところで、糖質の摂取についてどのようにするか再検討しなければならないだろう。