KORANIKATARU

子らに語る時々日記

最期に訪れる平穏の時間


上本町にある近鉄百貨店の食品売り場で肴を見繕う。

日曜夕刻、買物客でフロアはごった返しており、食材を選んで包んでもらってお勘定し受け取る、このプロセスをいちいち繰り返すのは面倒だが充実の飲みのためだと思えば何でもない。

つまみをどっさり買い込み、続いて飲み物。
ビールを選ぶ。
ちゃんぽんは悪酔いすると言うので、ビールだけを買う。

前回は350mlのビールを1ダース持ち込んだが結局は飲み干した。
今回は500mlを1ダース抱えて訪れた。

ここ最近、ぶらり実家を訪れ親父とさしで飲む。

バラエティに富んだ食材とビールを持ち込み、テレビ見ながら普段着で飲むのが最も心くつろげる。
どこか飲み屋に出かけるよりも、はるかに楽しい。

イスラム国で英国人人道支援家が公開処刑されたという報が流れた際には重い沈黙が訪れたが、その時以外は、テレビのニュースや巷の話やら、あれやこれや、ああでもないこうでもないと、両者賑やか終始話し通しとなる。

ビール12缶分、その夜も話は尽きなかった。


帰途につく。

午後8時過ぎ、大阪城ホールでは安室奈美恵のコンサートがあったようだ。
定番の応援衣装なのか袈裟のようなものをまとった若者が大挙乗り込んできた。

私はiPhoneをシャッフルで聞いている。
クリス・ハートが「アイ」を歌う。
日本人歌手をことごとく凌駕し、本家本元を霞ませるくらいに彼は歌が上手であるが、秦基博だけには敵わない。

秦基博が歌う「アイ」に切り替え、そのまま秦基博を聴き続ける。
別格だ。

心地よさに浸ったまま、大阪環状線から神戸線に乗り換えた。


家でNHKの特集「臨死体験 死ぬとき心はどうなるのか」を見る。
ガンを患ってから立花隆はより一層深く死について考えるようになったという。

臨死体験についてかつて著した立花隆であるが、当時の到達点のその先へと探求を再開する。

臨死体験の具体的証言から最先端の科学の知見に至るまで精力的にあたっていく。

その探求を通じ、彼自身は、死ねば心は消えてなくなる、という感触を強めていくが、謎は拭いきれず深まるばかりで確信には至らない。

ただ、死を迎えるにあたって、エピクロスが説いたアタラクシアの思想を引いて心の平安を見いだせる心境になったと、最後に語る。


心肺停止後にもごくごく微弱に脈打つ脳波がある。
立花隆はそのような最新の研究についても取材する。

番組ではこの微弱な脳波を臨死体験に結びつける即断はなかったけれど、このあたりに真相があるように思えてならない。

死ねば意識は消える。
しかし、そこに存在する僅かなタイムラグこそが、人の死の何たるかを暗示しているのではないだろうか。

記憶と夢と意識が融け合い、時間が無限に伸長していくような瞬間。

過去重層的にその個人を織り成してきた「記憶と夢と意識」が「実在」となって同時並列的に立ち現れる。
まるで巨大な画布に温かく包み込まれるようなどこまでも続く平穏が訪れる。

もともとは死後の世界の否定論者であったのに自身の臨死体験の後、肯定論者となった研究者が立花隆との対談で言う。
「死をどう捉えるかは、各個人の信条、信念の問題ではないでしょうか」

そうであれば私は、以前「天国と地獄」という日記でも書いたけれど、永遠に続く平穏にひたる最期があると想像したい。


昨晩、父と飲んだ。
その楽しい一場面が、父の「画布」のなかの一素材となるのであれば、嬉しいことだ。
親子で酒酌み交わす時間が永遠に続く。
ビール12缶程度では済まない厚みある時間がいつか父の中を流れる。

また近いうち1ダースのビールを飲みに父を訪れることにする。