今月の後半、ボリュームのある業務が連続した。
そのうちのひとつ。
複数日にまたがった案件が、この日に無事ようやく完遂をみた。
だから、途中下車してわたしは長田の平壌冷麺を訪れた。
ひとりで肉を焼きビールを飲んで、これも仕事と自身をねぎらう。
緩急の緩があってこそ喜び。
それで毎日元気に業務に励むことができる。
隣のテーブルは家族連れだった。
祖父母に両親にまだ小さい孫が二人。
この家族の主役はかわいく小さな孫娘二人だが、一家の稼働を担っているのは若き父親だった。
彼があれこれ注文し、父母に話し、子に話し、妻に話し、間断なく旺盛に喋って、家族全体の明るく弾む呼吸感といったものが醸成されていた。
その呼吸感がここ平壌冷麺にしっくり馴染む。
やはり歴史ある名店。
平壌冷麺は世代をまたいでつながる憩いの場なのだった。
その昔、息子らをしばしばここに連れてきた。
うちの場合、弁士は家内で、家内が喋って肉を焼き、賑やか楽しい場が形成されていた。
当時の味は子らの脳裏の奥深くに刻み込まれて、彼らにとって平壌冷麺での食事はある種の原体験といったものとなっているに違いない。
だから、この先いつか必ず思い出し、ここに足を運ぶということが起こり得る。
そしてそうなれば、各々がしみじみと思い出すことになるだろう。
懐かしの味は郷愁を伴って涙を誘い、母の言葉や父の所作など微細な断片がやたらと明瞭によみがえって、すべてがいっそう味わい深くなる。
息子らの未来の胸中を思ってその心情にシンクロし、感傷にひたって昔のままわたしは焼肉丼のテイクアウトを頼んだ。
息子らはここで大いに食べ、それだけでは足らず決まって焼肉丼をおみやげにし、家に帰ってぺろりと平らげた。
店を後にし、まだ明るい下町の街路を駅へと向かう。
わたしが手に提げているのは、焼肉丼、言い換えれば、昔の思い出がたんと詰まった幸福だった。