KORANIKATARU

子らに語る時々日記

会話で気をつけたい不作法10プラス1

他者との良好なコミュニケーションを重んじたゾロメゾフスキー教授は、発話において戒めるべきポイントを十項目にまとめ、次のとおり不適切極まりない順にずらり並べた。

  1. 相手の言葉に噛み付く
  2. 話が小ウソだらけ
  3. 同じ話を何度も繰り返す
  4. 内容が支離滅裂で破綻している
  5. 声の音量が場違い
  6. 一方的に喋る
  7. まわりくどい
  8. 下品
  9. 息が臭いまたは唾を飛ばす
  10. 自慢にもほどがある

発話の際に人格が表沙汰となる。
だから言葉を用いる際には細心の注意が必要となる。
これは身だしなみのようなものである。

歯に青のり、鼻孔から毛、目に糞、誰しもそれらには気を配るのに、発話においては配慮おろそか隙だらけとなる。

古くから言い習わされてきた。
無闇矢鱈いい気になって喋るなど、糞尿の垂れ流しのごとし。

会話に臨んでは、発話はなるべく慎むこと。  
目に微笑みたたえ、黙って静かに頷いておく、これが鉄則だ。

しかし必要となれば口を開かざるを得ない。
投げられたボールをほとんど投げ返さないのも度を越せば非礼にあたる。

だから、上記掲げた十の心得が大事となる。
そのなか、第一に挙げた「相手の言葉に噛み付く」は、単なる会話を越えて暴虐的行為として誹られるので最大限の注意が必要だ。

良好なコミュニケーションを築く上では、非対決的な姿勢がまずは求められるのであって、勝ち負け競うような獣性は人を前にしては捨て置かねばならない。

もっとも、この一番目の項目すら守れず精神的な掴み合いになって袂を分かつ例は後を絶たず枚挙にいとまがない。
特に夫婦関係の破綻原因として顕著である。
噛み付いて噛んで噛まれて焼け野原。

その他、各項目しげしげ眺めれば、各者各様に、不適切な場面の数々が想起されることであろう。

なかには、これら十の項目ではとても足りない、例えば会話の際に「意味なくニヤニヤする」や「視線がおかしい」、「話を混ぜっ返す、話の腰を折る」「爆笑するポイントが変」、「すぐに泣く」など、細かなニュアンスを拾い上げればまだまだ付け足さなければならないという意見あがることも想像に難くない。

実は後年になってゾロメゾフスキー教授はここに一項目を付け足した。
元からが十一項目であったのに、彼はそのひとつを最初にわざと伏せておいたのだった。
それはゾロメゾフスキー教授の心にくいはからいであった。
弟子たちが各自思い巡らせ、自力でその項目に到達するよういざなったわけである。

つまり、それだけに抜きん出て重要な項目であると言える。
残念ながら弟子のうち誰一人としてそこに到達できず、弟子の不出来はゾロメゾフスキー教授を切歯扼腕させ続けた。

    11.言葉を上から被せる

この最後の項目を付け加えたのは、弟子らが催した晩餐の席上であったという。

乾杯の盃を手にしたままゾロメゾフスキー教授は弟子らに向かって滔々と述べた。

「言葉を上から被せる」ことほどに無粋で相手を不愉快にさせることはない。
これを繰り返されるなど、左右脇腹にフック、アッパー連打される以上にこたえることである。

そして弟子を戒めた。
君たちは、途中で話を理解した気になって「あ、それ知ってる」「ああ、知ってます」と人の言葉に気軽に蓋をするが、それがどれだけ非礼で愚かなことか全く分かっていない。

たいていは、無知な未熟者の自己顕示に過ぎず、そんなことは相手にはお見通しなのだ。
身悶えし地団駄踏むくらいに恥じて悔い改めるべきことである。

ゾロメゾフスキー教授が弟子に語ったというこの逸話から、後年になって「知ったかぶり」という言葉が生まれ、相手の知の上に覆い被さっていくような態度が広く疎んじられるようになったと言われる。

今では「知ったか振り」と表記されるが、もともとは「言葉を上から被せる」という意味で「知った被り」と記載されていた。

十の項目にこの一つを付け足し、肝に銘じることとしたい。