帰宅する。
森林のなかにあるかのような良い香りがリビングに満ちている。
新種のアロマだろうか。
くんくんとその匂いを味わっていると、新ごぼうの香りだと教えられた。
夕飯への期待を高まらせつつ夜の街路を小一時間ほど走る。
走りながら昨夜二軒目に訪れた焼鳥屋の話となるが、そこで出た話題の大半に心当たりがない。
昭和の俳優と平成の俳優の存在感の違い、そんな話をしたこと以外まったく記憶に残っていない。
走り終え一風呂浴びて、お待ちかねのくつろぎタイム。
ハイボールの最初のお伴は焼き牡蠣。
そして、引き続いては新ごぼう。
香り高く、その柔らかい食感がチキンサラダの味を引き立てる。
二男はソファで寝息を立てている。
合宿の疲れがあるのだろう。
約一週間の山荘滞在はとても楽しいものだったという。
すっかりスキーが気に入ったようだ。
彼の学校ではどこかの見知らぬインストラクターがスキーを教えるのではない。
日頃接する教師らと卒業生がスキーのイロハを手ほどきしてくれる。
お身内感たっぷりのスキー合宿である。
こういった細部の積み重ねが学校の空気というものを醸成していくのだろう。
ハイボールをお代わりしつつ長男のメールをチェックする。
現地でとても仲良くなった友人家族が彼を一泊旅行に連れて行ってくれるという。
旅費はすべて向こう持ち。
あらかじめ先方から旅行の了承を求める連絡があった。
だからわたしの方でも既に知った話ではあった。
いよいよ別れの日が近づいている。
徐々に漠然としたような寂寥を本人も周囲も感じ始めているに違いない。
名残を惜しんで別れを飾る場を選んでくれたのだろう。
ナイアガラの滝。
2016年春、そこが取っておきの思い出の地になるなど出立当初、本人は想像もしなかったはずである。
もし留学せず日本で過ごしていたら、スナップ写真に笑って写る誰とも知り合うことはなかった。
彼の地は未知の地であり続け、現地の友人らとは一生会うことのない赤の他人のままであり続けただろう。
そして瞬く間に時が過ぎあっと言う間に大詰めとなった。
滞在期間の最終週、彼は主力として地元のラグビー対抗戦に出場する。
別れを前に仲間と一緒になって戦えるなど男としてこれほど幸福なことはないだろう。
皆と握手し再会を誓い合う。
別れの場面を思うと、こちらまでなんだか涙ぐみそうになってしまう。
あまりにも素晴らしい出会いに恵まれた。
その分、別れは痛切だ。
涙なしで済ませるなど到底不可能なことである。
しかし必ずまた会える。
一回りも二回りもいい男になって彼らと再会する、そう思えばなんと心弾んで楽しいことだろう。
地球は狭く、時は隣り合わせで繋がっている。
彼らとともにあるという連帯感が、男を一層磨くのに大いに役立つことであろう。
英語云々ではない、はるかに大切な経験を積んだ黄金の三ヶ月がまもなく完結する。
此の地にも首を長くし帰りを待つ友らがいる。
なんだか照れくさいような思いで待つ父がいて、そわそわとしはじめる母がいて、いまかいまかと待ちわびる弟がいる。
長男にとっては閃光のように一瞬で過ぎ去った三ヶ月であっただろうが、こちらからすれば本当に長い時間であった。
二つの時間がまたまもなく接ぎ合わされることになる。