電車で待ち合わせをしていた。
仕事を終え最寄駅18:26分発の電車の最後尾に乗る。
合流成功。
隣り合って座り日本橋へと向かう。
道頓堀はたいへんな賑わいであった。
団体の観光客で通りが埋め尽くされている。
このところは韓国から大勢が詰めかけているようだ。
聞くところ、韓国において大阪はパリについで旅行先として人気第二位の都市であり、ニューヨークやハワイの上を行くという。
大阪の雰囲気が韓国のそれと似ていて親近感が湧くからというのが人気の理由であるらしい。
ごったがえす道頓堀を西へ外れる。
人混みがはけ始め、まもなく三国亭の店先が眼前に見えてきた。
子らが生まれる前と子らが小さな頃に訪れたきり足が遠のいていた。
数年ぶりの再訪となった。
店は相変わらずの盛況ぶりであった。
席はすべて埋まり待ち客もいる。
予約してあったカウンター席に腰掛ける。
注文の主導権はわたしにはない。
一切わたしは注文に口出しをしない、そう電車のなかで約束してあった。
わたしが注文した場合、猪八戒風の中華になってしまうから。
それが理由であった。
わたしは自分の飲み物だけを告げ、注文のやりとりを無表情で眺める。
あれとこれと、それにあれ。
こういったことができないといまひとつ面白くない。
カウンター越し、客に振る舞われる数々の料理を横目にし、あれとこれと、それにあれ、と強く関心は惹かれるが、わたしは口を挟めず、見ているだけ。
そして運ばれてきたものをつまむだけ。
無表情が一瞬華やいでしまうほどに美味しいが、主導権もないのに喜ぶのもなんだか悔しいような気がして、わたしはむっつりと食べ歓喜は心密かにするのだった。
そのような、欲求不満な猪八戒的心持ちでの食事であったからだろう。
調子いまいち、動きもちぐはぐとなってしまった。
ビールを倒し、メニューを倒し、調味料を倒しして、隣席の方には迷惑をかけた。
次は二軒目。
わたしの出番であった。
しかしわたしがエスコートを頼もうとした兄貴分があろうことかミナミに不在であった。
まさかの事態であった。
わたしには二軒目とする店の心当たりがない。
結局、ここでも連れ合いがリードすることになる。
メールで情報収集しているのを横目で眺める。
そして、どういった流れなのであろう。
ママ友がお一人、我が一行に合流することになった。
とても美味しい焼鳥屋があるということであった。
三人で暖簾をくぐる。
ママ友がおすすめどころを注文してくれる。
わたしの猪八戒的味覚にジャストミート。
刺し身から焼き物からずらり並んだ料理はどれもこれも極上トレビアンなものであった。
がしかし一夜明け、店名は記憶の彼方。
所在もおぼろ。
なんだか夢であったような気がしないでもない。
かなりわたしは飲み過ぎたようであった。
朝起きて、眼鏡を探し、腕時計を探さなければならなかった。
不思議なもので携帯だけはきちんと枕元に置いてある。
まさに命の次の重要度。
いまや携帯は身の回り品のなかダントツ抜きんでて重き位置を占める。
失くしたものが何もないということを確認し朝風呂につかる。
酔いの疲労がぐんぐん回復していく。
朝の快さにひたっていると、玄関の扉の開く音がした。
ああ、二男だ。
スキー合宿を終え、夜行バスで帰ったきたのだ。
これで残るはあと一人。
二週間後の日曜日、我が家総出で出迎える。
全員集合の日が待ち遠しい。