阿倍野橋で降り谷町線に乗り換え南森町へと向かう。
大阪独特の蒸し暑さが本格化し始めている。
陽射し強く風はなく生ぬるいような空気がカラダにまとわりついてくる。
往来を歩くより空調の効いた電車内にいる方が快適だ。
予定まで時間があったので大阪天満宮を訪れる。
アジアの旅人が本殿を撮影している。
わたしはカメラのフレームにドンピシャ入っている。
自らがするお参り作法の適否が気になる。
お辞儀しつつ心はあさっての方向。
道真公にではなく斜め後ろのカメラにとらわれた。
子らの学業成就。
見ず知らずのアジアの初老男性に乞い願ったようなものである。
どうかご利益ありますように。
繁昌亭の前を通り曽根崎通を横切る。
天神橋筋商店街を右に折れ堀川小学校そばの客先に伺った。
面談に二時間を要した。
まもなく五時というところ。
JR東西線を使って事務所に戻ったちょうどそのときメールが届いた。
南森町にめぼしい居酒屋を見つけた。
昼に列ができていた。
かなり美味しい魚料理であるに違いない。
夕飯はそこで。
六時集合。
ホットヨガを終えたばかりの家内からであった。
わたしは南森町へと引き返す。
地魚料理ますだが夜の暖簾を出したと同時に到着した。
わたしたちが一番乗りの客となった。
刺身の盛り合わせを頼み、ビールで乾杯する。
ついさっきのこと。
南森町の駅で、本を片手に階段を三段飛ばしで駆け上がる中学生を見たと家内が言う。
二男だと気づいて声をかけようとしたが遅かった。
彼は走り過ぎ、その背は見る間に遠ざかっていった。
今夜は長男も二男もそれぞれ予定があるため、食事の用意が不要であった。
だから、ということで夫婦ふたりでの外食となった。
もし夕飯の支度が必要ならこの時間に家内が街にあるなど考えられることではなかった。
母としての役割において手抜きがない。
腰の座ったようなオカン・スピリットが骨の髄までしみこんでいる。
お嬢さん気分の抜けないなんちゃってママのような人種とは一線を画している。
自分かわいや、かわいやリンゴ。
子どもは二の次三の次、肝心なのはまずはあたくし。
いい歳してまで娘風情であり続けるチャラチャラ女子が母であれば、こいつはバカだと子らは一顧だにしなかったことだろう。
オカンたる者の有り様を知悉する知性が相手となれば、子らも軽々しくは振る舞えない。
そのような母の面影をいつか彼らはしみじみと思い起こすことになるだろう。
店主のすすめに従って正解であった。
ちょうど旬、新たまねぎの田楽も焼いたヤングコーンも絶品であった。
豆あじの唐揚げは風味抜群、焼き魚ではかわはぎの食感に感動させられた。
締めのだし巻きが店主の料理の腕を裏付けていた。
大満足の食事となった。
南森町と言えば、かつて足繁く家族で食事に訪れた街であった。
店を後にし商店街を歩けば過去に呼び戻されるかのようであって懐かしく、幾つものシーンが眼前によみがえった。
昔のとおり東西線に並んで座って家へと向かう。
小さな頃、南森町で過ごした当時の記憶は子らにはないだろう。
ここは夫婦ふたりの思い出の地。
わたしたちの郷愁のなか、二人の男子はいまも可愛いチビっ子のままいついつまでもビビッドに残り続けている。