先代を野辺に送った翌朝早朝、若き二代目は決然と仕事に向かった。
朝8時から関係先各所へ電話で挨拶し仕事の再開を告げた。
わたしも朝一番で電話をもらった。
今日最初の訪問先の玄関にちょうど入ったところだった。
先代の男気が二代目に受け継がれたことを聞き届けたようなものであり、胸熱くなった。
さあ、やっていきましょう、とわたしが元気づけられたようなものであった。
男子は仕事。
送り出せば、後は仕事に真っ向対峙するだけのこと。
万国共通、時代を貫いての男子の定めだ。
いつだって誰だって慌ただしい。
つい昨日のことであった葬儀もたちどころに過去のものとなっていく。
眼前にあった数々の情景もいまはもう記憶のなかに所在する。
参列者があれほど泣いた葬儀を目にしたのは初めてのことだった。
誰もが恩を受け、誰もが慕った先代であった。
それぞれの胸に去来する思い出のシーンは尽きず、そのエンディングが葬儀場にて家族に囲まれる亡骸となれば、涙止まるはずがない。
徹底的に泣いて何度も泣いて皆で別れを告げた。
いよいよお別れというとき、亡骸を中心とし参列者が放射状に広がった。
その様が、夢か現か、わたしの脳裡にまざまざとよみがえる。
一様にその肩は震え、その震えが時を越えてリアルに伝わってくる。
ふと思う。
後先、順番だけの話であって、そこにあったすべての人が誰一人例外なく、最期の時を迎える。
人の夢と書いて、儚いと読む。
そう身にしみる。
だからこそ、思う存分。
野に放たれた蝶のように、がんがん飛んで舞って、わずかなひとときを謳歌するだけのこと。
そしてもしその飛びっぷりが鮮烈に残って何か良きものがリアルに伝わるのであれば、それはそれでまた結構なことだと言えるのだろう。