面談するお相手が言った。
このところやたら暑いので外にでるのが億劫になって、知らず知らずデスクワークに偏りがちになる。
しかし血流に若い頃の勢いがないせいか、座っているとどうにもこうにも血行が滞るようでカラダがしゃんとしない。
足は第二の心臓、血液の折り返し地点。
それが下方に置かれたまま、おまけに靴下、更に革靴で締め付けられる。
慣れてしまって見過ごしているだけで、これカラダへの負担、相当大きいはすですよね。
そのような話を伺いつつ、いてもたってもいられないような気分となってくる。
鬱血した足が靴で締め付けられる様が浮かんで、窮屈極まりない。
ああ、靴が脱ぎたい、足を投げ出し、できれば清流にでも浸し癒してあげたい。
日頃痛めつけてばかりの足が不憫でならなくなってくる。
足つぼマッサのイタキモが蘇り、そのイタキモが足の悲痛な叫びそのものであったのだと思い至る。
わたしの意識は足に向いたまま、という時間が長く過ぎた。
この日わたしは足を労った。
そうせずにはいられなかった。
足つぼマッサで細部のこわばりを取り除き、ぬるめの湯船でくつろがせ、清潔に洗った後は洗い立てのシーツに横たえ、空調の冷風を思う存分浴びせかけた。
また明日もよろしくね。
足をさすってそう語りかける。
わたしたちはカラダとともにある。
無下に扱うなどもってのほかだろう。