終日クルマで動く一日となった。
昼前、大阪市内から西宮に入る。
腹ごしらえのため、ららぽーとにクルマを停めた。
フードコートは結構な賑わいを見せていた。
子連れの若いママの姿が目立つ。
大阪だとフリースペースがあればご老人が大勢を占める。
そのような光景を日常的に目にしているので、若いママらの集団が新鮮に映る。
西宮はやはりまだまだ若々しい。
そしてなんて不思議なことだろう。
フードコートのテナントを物色していると、奥の奥に天下一品があった。
ちょうど昨晩、ふとした拍子に天下一品という語に接したばかりだった。
場所はグレート・ギャツリー邸宅。
庭でバーベキューを楽しんだ後、夜、リビングで飲み直しとなった。
健全な男同士が飲んで酔えば当然ラーメンの話になる。
昨晩は、博多の海鳴が各自のラーメン伝説の主役となって話題を独占していた。
史上最高に美味しいラーメンは海鳴だと皆が口々にその思い出を語っていたときのことだった。
誰かがぼそりと言った。
天下一品が一番だよ。
本当にうまい天下一品を知ればほかのラーメンの出る幕はない。
しかしその言葉を受けて返す者は誰一人としてなかった。
遠い銀河を果てまで飛び続けるボイジャーみたいに天下一品というフレーズはリフレインされることなく閑静な北摂住宅街の虚空へと消えていった。
が、わたしの耳には残っていた。
天下一品。
そして虚空へ消えたあと、まさかこんなところに現れ出るなんて。
世は不思議なことだらけとしか言いようがない。
だから当然、わたしは天下一品の列に並んだのだった。
わたしが炒飯セットを注文すると、炒飯セット麺大盛りで、と言う若い女性の声がした。
いい度胸ではないかと思わず振り返った。
子と手をつなぐママであった。
なるほど、女手ひとつで食べる訳ではなく、子と分けるのだ。
合点がいった。
ラーメンを食べつつ、思い出す。
京都に近づけば近づくほど、天下一品は本物の味をあらわにし始める。
昨晩、天下一品について口にした誰かが続けて言った言葉だった。
ここは西宮。 新快速に乗っても京都までは40分はかかるだろう。
10月になって、昨日が二度目の酒席となった。
太陽のもと飲むビールはおいしく、グレート・ギャツリー所蔵のワインはとてつもなく美味であり、夜の深まりとともに、今度は日本酒が超絶に冴えてきた。
しこたま飲んだ明くる日のラーメンは臓腑にしみる。
健康的ではないかもしれないが、たまにはこんなふうにカラダを鍛錬することも必要であろう。
昨日の楽しい情景を眼前に思い浮かべながらいまクルマのなかで日記を書いている。
秋晴れの空のもと、子どもたちが群なし駆け廻り微笑ましく、極上肉はおふくろの味、おかげで心つややか、肌もつやつやとなった。
ギャツリー&ギャツリー弟くん&奥様方、そして愉快な仲間たち、ありがとう。
心からお礼を言いたい。