KORANIKATARU

子らに語る時々日記

小市民の詩

大それた望みなど、物心ついた頃から何一つなく、いまもそう。

お金のことを気にすることなく、ぶらり寿司屋に入ってビールを飲む。
そんな大人になれればどれだけいいだろう。

若き頃、心に描いた願望だ。
スーパーの惣菜をつまみに六畳一間で缶ビールを飲みながら、寿司をつまんで夕暮れに憩う未来の姿を思い浮かべた。
その記憶がいまも鮮明に残る。

いま、やろうと思えばいつでも回転寿司くらいには入れてそこに腰掛けてどうってことない。
なんとか願望の低めギリギリ、その域には手が届いたと思われる。

湯上がりにぶらり回転寿司のカウンターに座る自分は、誰か上司に指図されることもなく、出世競争に心を砕くこともなく、人様に後ろ指をさされることもない。

かなり上出来。
もし自分の人生が自分の願望成就のためだけにあるなら、身に余るほどの幸福に恵まれたと言えるだろう。

しかし、個人的には、という但し書きつきの幸福は一方でずいぶん肩身の狭い話でもあるのだった。
人生は我が事だけでは収まらない。
自己完結した世界で悦に入るだけでは済まされないというのが人生の真実だと言えそうだ。

身丈に合った生き方は居心地いいが、その身丈と背負う責任が不均衡になってしまえば、もはやそのままでは立つ瀬がない。
晴れて退場、となるまでは幸せは遠のくばかり、気ままなままに放って置かれるということはないようだ。