たまには憂鬱に感じる懸案もある。
脳裡かすめるだけで気分が塞ぐ。
痛くもない腹探られる調査対応などその最たるものだろう。
通知を受けたときから視界前方が根暗に煙る。
思案に暮れて腕組みしたまま燻されて、はたと気づいて煙を払う。
時は師走。
陰気にかまけている暇はない。
活気に追いつく煙なし。
あれこれバタバタしていれば気分も紛れて気がかりなことなど影を潜める。
が、それもいっときのこと。
ほとぼりさめた頃合い、生暖かな隙間風みたく意識の淵から吹き込んで暗雲となって心を覆う。
だから待ちに待った今日であった。
終われば解放。
ああでもないこうでもないと指折り待たされることほど煩わしいことはない。
朝、目覚めて思う。
いよいよ今日だ。
今日で終わってこの気煩いからやっとのことおさらばできる。
ドキドキとウキウキが同居する、いずれにせよ落ち着かない時間に滞空し、しかし時計の針はこの期に及んで遅々として進まない。
辛気臭く待ち続ける時間が続く。
そして、何か大層なオープニングのセレモニーなど催されるでもなく、見慣れた日常と地続きのまま彼らはやってきてそして調査が静かに始まった。
緊張強いられる居心地の悪い一時間。
素直に応対し、なんとか持ち堪えた。
案の定、何も問題はなかった。
想定通り、呆気ない。
しかし、なぜなのだろう。
こうなると分かっているのに、一体なぜ、毎回毎回、不安を覚え身構えてしまうのだろう。
平凡な人間にとっては、心配性がデフォルト。
きっとそういうことなのだろう。
針小棒大、世は枯れ尾花で溢れ返っている。
心配性の眼鏡を通してはじめて、微に入り細に入り事物を捉える精度が増して何であれ改善が促されることになる。
つまり、心配性こそ進歩の母、発展の父と言えるのだろう。
解き放たれて、さあ思う存分安堵しようと意気込んだ。
やっほっほ、と心弾ませようとしたその瞬間、メールが入った。
また、である。
懸案のお出ましお出まし。
一難去ってまた一難。
煙が立ち込める。
ああ、因果な仕事、全方位に渡って快晴といった状況など滅多に訪れることがない。
師走のいたぶりはいましばらく続きそうだ。
しかし、もう手が届く距離に年末年始が見えている。
このときばかりは晴れ渡る。
あとほんの少し、えんやこらせのどっこいせ。
一年のうちもっとも愛おしい時間が目と鼻の先に迫っている。