開店前のとびこめに電話で注文してから家を出た。
高速を夕陽ヶ丘で降り11時前に桃谷に着いた。
店を訪れると頼んだ寿司がすでに出来上がっていた。
寿司を受け取り、引き続き家内の運転で文の里から高速に乗って喜連瓜破で降り、11時半には家内の実家に到着した。
家事をこなしながら家内は朝から喋りっぱなしで運転中も同様。
そして実家に着いてもその勢いが衰えることはなかった。
道中、二男から家内にあててメールが届いた。
国体予選の大阪代表として招集されたとのことだった。
だから、家内が更に活気づくのも当然と言えた。
中高6年に渡ってホッケーを続けさせてほんとうによかった。
運転しつつ家内はしみじみそう言った。
わたしも同意した。
「おれにはこれがある」
そう思えるスポーツがあるとないとで、男子の気概は天地の差となる。
自負心という点で、息子はそこらの男子に一歩もひけを取らない。
ホッケーの技量を高め頭角を現す過程で、かつての幼子は男子の風格といったものを漂わすまでに成長していった。
「勉強はやめても部活はやめるな」
そう言って息子を励まし応援してきた家内の労は、無形の広がりをもって濃厚に結実し、大いに報われたと言っていいだろう。
フィールドでの数々の真剣勝負を通じ、度胸も備わった。
いまや彼はちょっとしたことでは動じない。
大学受験のため上京した際も、赤坂御所のまわりを毎日走り、焼肉屋で肉を焼き、上野のサウナに通って試験に備えた。
今思えばすでにこのとき、彼は実に早稲田らしいバンカラ気質を醸し始めていたのだった。
義父母と久々に顔を合わせ、長男の就職が決まったことを報告をし、二男の話も交え、気の早い話ではあるが息子らの結婚式やひ孫お出ましの話などで盛り上がり、昼からたっぷりビールを飲んだ。
23年前、わたしたちの結婚式の場で義母はどれだけ心配だったことだろう。
娘の行く末を案じたときから20数年の時を経て、おそらく今度は晴れがましい。
息子らの結婚式での笑顔が思い浮かぶから、これこそ親孝行と言え、そんな場面が待ち遠しい。
家庭菜園の無農薬野菜をたっぷりもらっての帰途、息子ら所望のTシャツなど買い、家に着いて、家内がベランダ焼肉の支度をはじめたものだから驚いた。
なんというスタミナ。
夕刻、涼しさを帯び始めた夏風に吹かれつつ、家内とハイボールを飲んで焼肉を食べ、息子二人を育てた母の凄みにわたしは感心するばかりだった。