食卓の上に置いてあった『星光通信』最新号に目が留まり、手にとって家を出た。
行きの電車でざっと目を通すつもりが、冒頭に都成校長の言葉が紹介されていて引き込まれじっくり読むことになった。
「人生は出会いです」
昭和60年3月の星光通信で都成校長はそう語った。
その言葉を受け筆者である前田神父は、問いかける形で文をつなぐ。
「出会い」に私たちは「何を」求めているのか?
「出会いがもたらすもの」は何か?
「出会いの先にあるもの」は何か?
問いは問いの形で締め括られる。
「星光の先達が私たちに語りたいこと」は何だったのか?
その問いについて考えを巡らせながらページを繰る。
63期高校卒業式で交わされた送辞と答辞が掲載されている。
やはりお馴染み、箱根山体操が今もって先輩と後輩を取り結んでいるがことが分かる。
そして卒業していく者は南部を語り、黒姫を語り、スクールフェアを語る。
合宿に着替えを忘れたった一枚で一週間を過ごした猛者がいたというエピソードなど、どの学年にも一人や二人いるような話であり、そのエピソードの互換性が星光生のつながりの基礎となっていることが、63期という学年の一断面からも見て取れた。
巻末には13期の大先輩でもある範国先生が退職されるとの記載があった。
退職にあたって、と範国先生の言葉が綴られている。
『わたしが最も感謝しているのは、都成校長との出会いです。
中1のとき、登山に連れて行ってもらって、以来53年間登山を続けることができました。
人生で一番の恩人です。
今日の自分があるのは都成神父のおかげです』
範国先生の言葉は最後にこう結ばれる。
『生きて、都成神父の恩に報いたいとい思います』
このくだりを読んでわたしは胸に熱いもの感じ、範国先生の言葉に巻頭の問いかけの答えがすべて集約されているではないかと思った。
わたしたちが大阪星光を卒業したのは1988年3月。
その同じ年の7月に都成神父は帰天された。
ちょうど今年で30年になる。
思えば山のような存在感の校長先生であった。
そんな人物のふところのもとわたしたちは無邪気に学校で過ごし、ついつい知らず知らず、その取り計らいによって貴重な出会いを得たと言えるのではないだろうか。
つまり、出会いは人生の大先輩によって用意周到にお膳立てされていたというような話である。
卒後30周年の集いは9月。
もとはと言えば、星光先達である都成校長によって結ばれた縁の者どうし。
各自、人智を超えた出会いの数々を経て、その原点とも言える出会いの場所に帰ってくることになる。
天国からその様子を微笑んで見守る都成神父の面影が目に浮かぶ。