ジムを終え、昼前に家内と待ち合わせた。
地元自治会の会合が土曜朝から行われていて、家内は町内担当として出席していた。
周辺の各小中高の校長先生らも顔を出したというので、一体何が話し合われたのか興味が湧いた。
しかし家内によれば特に議題といったものはなく単に近況報告がなされ情報共有が図られただけのようであった。
たとえば公園のクリーン大作戦が行われ何人集まったといった話や、インフルエンザによる学級閉鎖の状況についての報告がなされた。
クリーン作戦で言えば、わが町の参加者数は隣接の町々の半分にも満たなかったそうだ。
それでわが町陣営の年配者は悔しがったというが、マンションが立ち並ぶ隣接地域と比べ、若い世代の流入がほとんどないのでやむを得ないことだろう。
それにしても面白いのがその対抗心である。
俯瞰してみれば、同じ括りの地域であり似たような社会階層の者らと思うが、人のさがなのだろう、川向うや道一つ隔てた地の人に特性を付与し自他を区別する。
これが悪い方に昂じると、差別などにつながるのだろうが、昂じないのであれば対抗心程度で済んでお話としては面白い。
しかしいずれにせよ、線を引いたところで向こうにいるのは鏡に映る自分の姿。
そう心得ておくべき話だろうと思う。
宝塚で阪急電車に乗り換えてひと駅。
清荒神駅で降りる。
緩やかな坂をのぼって15分ほど。
空晴れ渡り春を思わせる陽気が心地よく、少し汗ばんだ頃合い、清澄寺に到着した。
家内とともに手を合わせながら諸堂を一巡し、心静かとなって参道をくだる。
途中、末廣寿司に寄って昼食をとる。
注文するのは当然に名物さば寿司。
これはかなり美味しい。
窓の向こう、山間の景色を眺めつつわたしは蕎麦とともに家内はおでんとともに名品を堪能した。
阪急電車を使って続いて向かうは門戸厄神。
節分が近いからか月初めの土曜であるからか、結構な人出で賑わっていて驚いた。
門前に屋台がずらりと並びまるでお祭り。
入り口付近では出店からラップが流れ別の出店からはロックが聞こえた。
猥雑雑多な雰囲気が門前の市のそもそもの姿なのだろう。
遠い昔の門前の活気をそこに見るような思いとなった。
お参りを終え更に南へと向かい、西宮神社を目指す。
夕刻間近。
人影もまばらな参道を赤門から本殿に向け歩く。
ちょうど祝詞奏上が行われている本殿前に並んで手を合わせ深々お辞儀しこの日予定した行程が完遂となった。
おつかれさん、とビールで乾杯しエビスタの会津屋でたこ焼きを分け合う。
中箱は20個入り。
子らのみやげに二箱買い求めた。
夕飯の調達は目の前にある阪神百貨店で行った。
今夜開けるワインを選ぶため試飲させてもらう。
ああでもないこうでもないと夫婦で意見交換しつつ思う。
互いが鏡に映るもう一人の自分。
ともに学んで成長するためのひとつがいの共同体。
出し抜けにそんな実感が湧いて出た。