待ち合わせは7時半だった。
勘違いして7時前に着いたわたしはカウンターに座って約半時間、スマホを見て過ごすことになった。
定刻、タコちゃんが姿を見せ、少し遅れてカネちゃんが現れた。
かねしろ内科クリニックは今年5月13日に開院となる。
谷町線平野駅3番出口から歩いて2分。
見通しのいい角地にあって建物が黄色であるからすぐに分かるし、目にしたことのある人なら「ああ、あれね」とその佇まいがクッキリ頭に浮かぶ。
内装工事がまもなくはじまり導入される設備機器の目鼻も整った。
サイン表示などデザイン面で随所に工夫が凝らされ、そこが特筆すべき最たる点だろう。
そんな話をしていると店の大将が話しかけてきた。
小さい頃から勉強を積み重ね、試験に次ぐ試験をくぐり抜け、大金かけたうえに下積みまであり、それで行き着く先が手前ども同様、日夜骨折りなサービス業だとしたら忍びない話ですね。
嫌味でも悪気があってのことでも何でもなく、そのたいへんさに感じ入って素直に発せられた言葉であったから、心優しいタコちゃん、カネちゃんは大将の意に同じてその指摘に甘んじた。
が、わたしはそこでやんわりと言葉を返した。
彼らが携わるのは単なるサービス業ではないだろう。
人の生き死にに関わるのだから、軽々な間違いなどあってはならずだから並程度の知的レベルの者がやっていいはずがなく、長い間に渡って鍛えられ腕をあげその厳しい練磨の過程を持ちこたえてきたという裏付けも不可欠で、それがあってこそ、お墨付きを与えられ公にその職名を名乗ることができる。
それが前提だから、その時点で数ある職業のなか例外的な存在と言っていい。
当然、楽をしたいと選ぶ道では決してなく、それは端から百も承知の上で重い召命にその身を捧げるような話であるから、頭下がりこそすれ、とてもではないがサービス業と一括りにするなどし難く、その特異さを思えばサービス業的な価値観で云々すべき仕事ではないと理解が及ぶのではないだろうか。
具体的にイメージすればしっくりくるかもしれない。
天王寺にある田中内科クリニックでは、院長の顔を見て会話するだけで心安らぎ救われる人がいて、来る日も来る日も院長は一人一人に真摯に対峙し、そして平野に誕生する、かねしろ内科クリニックにおいても同じこと。
そんな様子を思い浮かべれば、そこで為されるのはサービス業的な何かの提供というより、救済というニュアンスに近い。
そう言うと、そんな大層なもんではない、とあくまで謙虚な二人の声が揃った。
技巧凝らされた料理が10品ほど続き腹も膨れ、10時過ぎにお開きとなった。
男三人で連れ立ち、アキオは元気にしてるのか、とか、ところで親父さんは何歳になった、といった話をしながら心斎橋からなんばまで歩いてそこで手を振って別れた。
電車に乗って帰途につき地元の駅の改札をくぐったのが午後10時40分。
ちょうど二男が帰ってくる頃合い。
いま抜けたばかりの改札の方を物は試しと振り返ってみた。
なんとそこには二男の姿。
わたしは驚き、そして二男も驚いた。
コンビニに寄って一緒に買い物してから並んで歩き、33期のタコちゃんやカネちゃんの話をし、タコちゃんの子やカネちゃんの子の話をしたのであったが、たすき掛けするみたいに皆が関わる様が絵柄となって浮かび、なんと密接なことなのだろうとその多重な縁に頼もしいような思いとなった。