夜の食事会を前にサウナに寄った。
断続的に雨が降り続き蒸し暑く、内から外から全身が湿り気を帯びていて気持ち悪い。
サウナできれいさっぱり洗い流してからでないと人前に出るのが憚られた。
場所は西九条の大福湯。
サウナは空いていた。
わたしの他におじさんがひとり。
かたぎの方には見えないがわたしも脱げば似たようなもの。
密室に中年が二人寄れば会話が生まれる。
普通はそうだろう。
おじさんはあーとかうーとか声を出しいつでも会話オッケーとのサインを出している。
さあ、打ってこいとガードを下げているようなもの。
しかしわたしは喋らないし会話を寄せつける雰囲気も出さない。
カネちゃんやタコちゃんや天六のいんちょならサインに柔軟に反応し多彩な雑談を繰り広げるに違いない。
友人がするだろう会話を想像しつつわたしは更に黙していった。
前日もそうだった。
場所はマッサージ屋。
最近行きつけになっていて毎週行くからすでに顔馴染みと言える。
施術の際、おばさんがあれこれ話したそうであるのは十分理解しつつ、わたしはほぐされていく平穏のなかに閉じこもり何も言葉を発しない。
やはりわたしは内側で生きているということなのだろう。
用があれば外に出て言葉を交わそうと意識するがそうでなければ内にこもる。
夜の飲み会。
店は貸し切り。
看護師らの夫も集まって、田中内科クリニックのファミリー食事会といった趣きであった。
隣席には初対面の方が座った。
実はわたしはあまり喋らない人間なんです。
そんな説明から会話をはじめた。
普通は天気の話や家族の話や青春時代の話や初恋の話などして打ち解けるのだと思います。
そう言いながら、たとえばといった感じで普通の人がするような話を繰り広げつつ、普段はこんな感じではうまく話せないと吐露してみたのだった。
訳がわからない。
喋らないと言ってあんたがいちばん喋っている。
お相手の方はそんな顔をしていたので、内と外についてのわたしの話は通じてなかったのかもしれない。
会話しつついつしかわたしの思考は二人の息子のことに向いていた。
うちの長男はよく喋る。
物心ついた頃からそうだった。
まいどってな感じで誰にでも話しかけ、そんな性格だから東京での交友関係はびっくりするくらいに広範多様なものとなっている。
一方の二男は不用意には喋らないというタイプ。
ありとあらゆることに視線を注ぎしかし喋らないと決めたら喋らない。
もちろん喋ると決めれば多分野に渡って一家言を有する男であるのだが、わたしのようにうっかりぺちゃくちゃ制御外れたみたいに話し出したりしないので、彼からは独特のこわもて感が滲み出ている。
この夜、食事がおいしく皆が優しく親切で、無口なはずなのにわたしは散々喋って楽しんだ。
適温で貝の口が開くのと同じこと。
寡黙な男も饒舌に生まれ変わる田中内科クリニックと言っていいのだろう。
タコちゃんが横に座ればまるで親友とそうするみたいにうちの二男も多弁になるに違いない。
二つのタイプがあるというより二つの状態がある。
そう考えるのが正しいのだろう。
熟達の者は状況に応じアクセルとブレーキを自然な感じで踏み分けられるがわたしの場合はぎこちない。
だから黙りこくるか喋っても不自然になる。
幸い友人らが自然な会話の達人。
彼らから極意を学びいつかサウナでも会話を楽しめるような男になろうと思う。