朝、家内は二男の朝食と弁当の支度をし、わたしはケルヒャーを使って玄関先を洗い流した。
8時過ぎに家を出てJR芦屋駅を降り、まだ咲き残る桜を芦屋川の両岸に見ながら歩きロックガーデン入口に着いたのが9時5分。
春快晴の陽気に誘われてか方々から人が集まって結構な賑わい。
登山道は混み合って、ゆっくりペースの立ち上がりとなった。
阪大探検部の新歓チームの後ろに続き、清流のせせらぎとウグイスのさえずりに耳を澄ませひたすら這って登ってよじ登り、山頂に着いたのがああやれやれ11時過ぎ。
山頂も人出多く、やっとのこと陽当たりのいい場所に空きスペースを見つけ夫婦で腰を下ろした。
標高千にも満たない山であっても登りきれば充実感を覚える。
その喜びを家内と分かち合って昼食をとる。
昼食といっても、朝作ったおにぎりに海苔を巻くだけの簡素なもの。
しかしそれでも山を登って食べれば、単なるおにぎりが見違えて極上の食べものに感じられた。
おいしい、おいしいとおにぎりを食べ、食後は先日武蔵小杉で買って帰ったホノルルコーヒーを二人で飲んだ。
どこで飲んでも美味しいコーヒーであるが山頂では格別だった。
お茶をしつつ、二男の女子友の話になった。
一言にすれば純粋、そういった印象のその女子について、別の女子友は言ったそうだ。
「純粋なんて、作ろうと思えば作れる、あたしにでもできる」
「純粋」について家内と意見を交わす。
確かに作ることができそうであり、男子校、特に星光生に対し純粋仕様で振る舞うなどお茶の子さいさいといった話だろう。
わたしはそう言うが、家内は否定した。
あの女子友については、本当に純粋だと思う。
家内がそう思うのであればそうなのだろう。
男に分かる訳がない。
家内の判断以外、頼みとするものは何もなかった。
山頂から有馬までの道はなだらか。
わたしたちの人生行路になぞらえつつ、のんびり語らってひたすら下る。
先日長男が家内に対しぼそりと言ったという。
同じ主婦であっても格差社会。
悠々自適、何不自由なく贅沢に暮らす人がいる一方、こちらはしがない自営業であって総力結集せざるを得ず、その誰かが蝶よ花よと優雅に遊ぶとき、家内は手伝いに駆り出され仕事を覚えかつ西へ東へと走り回らなければならない。
それを不憫だと長男は言った。
なるほど長男が言うことにも一理あるが、知っておかねばならないだろう。
社会に出れば随所至るところに格差が存在し、しかし、それで卑下したりつべこべ言っても始まらず、できるのは地道に頑張ることだけであり、躍起になって一発逆転を目論んだところで運不運がつきまとうから活路開けるとは限らず、地道な時間の積み重ねを日常とするのが最善、そう心得るしかない。
たとえ贅沢はできずとも日々の払いが滞らず日銭に困らない程度が維持できればまずは御の字で、それを継続すれば減りはせず増える方が多いだろうから、長い目でみれば最強。
つまり野球やサッカーと同じで守りが堅ければ失点がないのだから勝利はともかく簡単に負けはせず、子供じみた大味の全勝伝説より粘ってしぶとくハラハラドキドキの不敗伝説の方がはるかに渋くて伝説として価値がある。
そう捉えれば、鉄壁の守りに伴って生じる不憫もまた力の蓄積そのものであると言え、憐れむどころか、やるね憎いねといった部類の話であり当の本人にとって実は心地よく満更でもないことだと分かるのではないだろうか。
そんな話をしているうち、まもなく有馬の下山口に到着した。
正午過ぎであった。
足はまっすぐ目と鼻の先にあるかんぽの湯に向いた。
山道を歩いた後の温泉は心地よく、湯に心身預ける時間は無上のひとときとなった。
一時間ほどゆっくり過ごし、持参していた洗いたての服に着替えて快適。
家内とぶらり春の微風に吹かれつつ休日の温泉街をしばらく歩き、太閤橋からバスに乗り、車内で並んで座って天ぷらとビールで乾杯し互いねぎらい合って至福を味わった。
JR芦屋で降り大丸のビゴでケーキとパンを選び、竹園で名物のコロッケとミンチカツ、そしてヒレカツを買う。
同じく竹園で焼肉セット200gを3セットとすき焼き用の肉を注文するが、このとき、ああ長男は家にいないのだと実感することになった。
帰宅し家内と手分けし支度する。
ベランダに焼肉用の舞台を即席で整え、帰途、十一屋で買った赤ワインを開け、にんにくとナスを焼き、そこに肉を投下した。
脇役には鳥よしで買った肉厚重厚な鳥軟骨を添えた。
肉が実に柔らかくて美味しく、ナスもジューシーで美味しく軟骨もコクあって濃厚、最上美味に感じられた。
山を登るとすべてについて喜びが増すようだ。
まもなく二男が帰ってきた。
ベランダで家族が合流。
彼が肉を頬張る瞬間、夫婦でその表情を凝視した。
信じられないくらい、おいしい。
一口食べてのそれが彼の第一声であった。
それもそのはず。
学校の授業の後で部活を終え、塾も済ませての充実の一日。
だからこそ、美味しさが際立つ。
なんであれ頑張った後の方が美味しく楽しいに決まっているのである。
二男の第一声を受け、家内はその賛辞に身を乗り出すようにして次々と肉を焼き始めた。