適当なサイズのサブバッグが見当たらない。
探すといいのが見つかった。
長男が通う大学名の入ったトートバッグがドンピシャの容量だったのでそれを肩にかけ出勤することにした。
秋の神宮や初冬の秩父宮に家内と繰り出すのに使うため買い置きしていたバッグである。
この先、夫婦の遠出の際に重宝するであろうそのバッグを一番乗りでわたしが使うことになった。
朝8時過ぎ、JR神戸線が動いておらずホームが人でごった返していた。
混み合う空間が大の苦手。
すかさず引き返し阪神電車を使うことにした。
ホームに立っていると不思議なことであるがちょっとした感慨が湧いて出た。
新緑を涼やか揺らす五月の風があまりに気持ち良かったからかもしれない。
長男の出身高校からすればやむにやまれず進学するといった低ランクの大学かもしれないが、この親からすればひとまずは上出来で、その名の記されたトートバックがとても誇らしいものに思えた。
貴婦人がちょっとしたブランドのバッグを引っ提げたときと同様の作用が感情にもたらされているのかもしれない。
しかし、バッグはお金を出しさえすれば人を選ばず誰彼となく手にすることができ、最近では定額制で手軽にレンタルもできるようであるから、そういう意味で価値の程度は知れている。
お金を積んでも手に入らない。
これみよがしにするにしても、それくらいでないとおとといおいでと言うものであろう。
家内も何かバッグを買って帰ってくるかもしれないが、このトートバッグに勝ることはない。
そんなことを考えつつ、どれどれと家内の様子を窺う。
向こうは真夜中という時間であったがテニスのラリーが続くみたいに小気味よくメールが行き交った。
さすがコミュ力抜群の家内。
一人で旅する友だちが幾人かでき、そのそれぞれと行動を共にし国際交流を深めているということであった。
移動もウーバーがあるから安心で、ネットで常時つながっているから遠く離れていても心配無用。
昔の一人旅と違い、ほんとうに便利になったものである。
家内が楽しいとわたしも楽しい。
だから旅の話は無際限に続くことになる。
電車を降りたところで、じゃあまたと打ち切って、わたしは日常に舞い戻った。
家内の不在が一週間となり、こちらは思った以上に食事に苦慮強いられることになった。
朝は家内の作り置きを食べるにしても、昼は外食で夜も外食。
手作りの美味しい料理や家内がデコレーションする野菜や果物への飢餓感が募ってくるうえ、だんだん行く店の選択にも困ってくるし、かといってスーパーの惣菜などとてもではないが口にする気になれない。
昨晩、二男からトマト3個とりんごを2個買ってきてとリクエストがあってスーパーに寄った。
どこかの子連れの母が作り置きの惣菜をいくつも買うのを見て、うちの家の日頃の食生活の充実を痛感することになった。
買物を終え夕飯のためこの夜はひとりギョーザマルシェに寄った。
外で孤食するとき、人の全貌が露わになる。
わたしの場合、実にわびしい。
家内の留守によってそう思い知らされ、だからわたしは子らに言う。
人としての尊厳を保つうえで、男も料理くらいできた方がいい。
そんなことをひとりぼんやり思っていると、こちらの様子を見透かしたかのように家内からメッセージが届いた。
ごはん、ちゃんと食べてる?
もちろん。
ちゃんと食べてる、とわたしはメッセージを返した。
おいしいものをいっぱい買って帰る。
家内からそう返信がきて、まだたった一週間なのにその帰りが急に待ち遠しくなった。