ゆうひが丘の総理大臣は、何かあれば会いに行くのさ懐かしい海へと歌っていたが、わたしはこの日、父を訪ねた。
先日、仕事の最終責任者として痛烈なパンチを喰うことがあった。
実際にどつかれた訳ではないが、受けたダメージは似たようなものとしか思えない。
振り返れば30代から40代を通じ、パンチを喰うことなど皆無であった。
曲りなりにも如才なく仕事をこなしてきた。
だから、かすり傷ひとつ負わずここまでやってこられたのだろう。
そういう意味でわたしは案外強かったと言えるのかもしれないが、反面、打たれることに慣れておらず、顔面からボディに数発打ち込まれただけで足が止まってフラフラになってしまったのであるから、弱さと背中合わせ、不完全な強さのまま偶々運良くやってこられたということになる。
善後策が功を奏し雨降った後で地は固まり大事には至らなかったが、今回の件をどのように受け止め消化すべきなのか、そんな逡巡が内に残って尾を引いていた。
上六の近鉄百貨店で試飲販売されていた広島の醉心という日本酒を買い、つまみには焼き鳥を選んだ。
道すがらよく冷えたビールも買い込むが、家は留守。
父に電話すると風呂を終えいま帰る途中だという。
まもなく通りの向こうに自転車を漕ぐ父の姿が見えた。
わたしの姿を見つけ、父の表情に笑顔が浮かんだ。
自転車のカゴには焼き魚弁当がひとつ。
女房が留守だと男はこうなる。
テーブルで差し向かい。
さあ乾杯というところで、ちょっと待ったと父が焼き鳥をフライパンで温め直してくれた。
その方が美味しいと言うから息子たるもの従わざるを得ない。
準備整いビールを注いで、夕刻早い時間から男飲みが始まった。
子らの近況について話し世間話をする。
ただそんな話をするだけで気持ちがほぐれた。
父を目の前にして思う。
歳を重ねるというのは、いろいろなことを実地で経験し自分のものにしていく過程と言えるのだろう。
誰だって無傷では済まず、パンチが当たろうがミサイルが命中しようが、それでも耐えて凌いで生き延び、そこで得た何かを後世に伝え残していく。
そこに意義が宿る。
つまりは、学び。
すべてのことから何かを得て、それら情報を自身の内にアーカイブし、誰かに伝える。
後に続く者にとってはどんな情報でも有用で、だから学んで伝えることが先人の責任とも言えることになる。
自身がひとつの教材となっていくのだとイメージすれば、パンチを喰うなど不可欠な要素であって、テキストの完成度という観点で言えば歓迎すべきことであるに違いない。
とすれば、今回どつかれたことは喜ばしい話と解釈できる。
もちろん、そんな箇所は数行でないとカラダがもたないので、今後はパンチをもらわない仕組みづくりが大切であり、パンチが来てもダメージが小さくなるようにする工夫が不可欠で、それでももし万一パンチが当たれば、その場合には絶対に最後まで倒れないという覚悟も必要になる。
いちいち倒れていたら生計は成り立たず、持ちこたえていれば思ったより早くこちらに流れがやってくる。
だから結論は至ってシンプル。
パンチくらいでは絶対に倒れない、はなからそう決めてしまうのが話も早く余計なことを考えずに済むので気も楽になってダメージも極小。
父と飲みつつ、考えを整理し振り返り、帰途、ひと風呂浴びてにこやか爽快。
そのまま家路につくはずが、地元の駅でまた焼鳥屋に足が向き、そこでひとり復習の時間を過ごすことになった。