月末は実家に寄って両親と夕飯を食べる。
そう心がけている。
この日夕刻、田中内科クリニックでニンニク注射を受けた後、天王寺から電車に乗って実家に向かった。
寿司が用意されていた。
寺田町にテイクアウト専門店の寿司屋ができた。
それで試しに買ってみたのだと父が言う。
折り詰めをみると大起水産との印字がある。
人気の寿司チェーンであることをわたしは父母に説明した。
寿司に母の手料理が添えられ、ビールを開けて三人で食卓を囲んだ。
いつものとおり。
孫らの近況が語られ、昔話に花が咲き、笑いに満ちた夕餉となった。
食べ終えて、酒がまわって父がうたた寝するが、そこには笑顔が浮かんでいた。
家の外まで母が見送ってくれた。
雨はすっかり上がっていた。
御幸森で買ったという食材を母がどっさりもたせてくれる。
ひととき立ち話をして、じゃあ、と手を振った。
にこやか帰途につき、だから地元の駅で降り、ひとり二次会と洒落込んだ。
蕎麦にしようとも思うが炭水化物は避けるべきと理性が働き焼き鳥たくみのカウンターに腰掛けた。
相変わらず二代目店主はこの世の果てまで無愛想だった。
真ん前にいるのにこちらの注文に返事ひとつない。
焼き上がった焼き鳥の皿を無言で無造作に置くから、まあ気分は悪いが慣れている。
白髪の先代は柔和な方だった。
それを思えば足して2で割りちょうどという話だろう。
まもなく新規の客が入ってきた。
メニューを見て、言う。
大将、どんどんって何ですか。
もちろん店主は口をつぐんだまま何も言葉を返さない。
挨拶したのに無視された。
そんな思いで客はぶったまげたに違いない。
険悪になりかける空気を和ませるのは決まって店主の母親、この店の女将だった。
女将が愛想よく振る舞い場をほぐす。
この先代女房の女将がいるから、店はまだ命脈を保っていると言えるだろう。
駅の真ん前、まま美味しいといったことなど、生き残りの理由としては遥か後方にくる。
ビールを喉に流し込みつつ、想像してみる。
もしかすると天六のいんちょなら、こんな仏頂面の店主でさえ乗せて盛り上げ、会話を弾ませるのではないか。
天六いんちょが有する包容力ある面倒見と人間理解をベースにした優しさがあれば、そうなる可能性大だろう。
たとえば甲子園で野球を観た帰り。
天六いんちょがたくみを訪れ店主と会話する。
次第店主の口数が増え、意外に饒舌、冗談まで混ざる。
実はさあ、と店主の人間味がそのうち丸出しになっていく。
そんな様子を思い浮かべて飲んだから、この場に会話は全くないのに、わたしは店主とほんの少しだけ打ち解けたような気になれた。
店を出て真っ直ぐ帰宅し、風呂に入っていると家内が言った。
ビールを買ってきて。
さっき母にもらった手土産のなか、ピカピカのポッサムがわんさとあった。
コラーゲンたっぷりでそれこそ良質のタンパク質。
家内にもってこいという食材と言えた。
それで食欲出たのだろう。
ビールの注文が発せられたのだった。
再び降り始めた雨のなか、わたしはコンビニへと駆けていきビールを買った。
家に戻ってリビングに上がると、家内がつまみの支度をすでに整えていた。
プシューと缶を開け乾杯、そのままその場で三次会が始まった。
食卓とキッチンを行き来する際、ときおりおどけて家内が小さく踊る。
酔っているからそれがおかしく、わたしは笑い、調子に乗って更に踊って家内も笑う。
たくみの店主も居合わせたら、釣られて笑う。
それくらい明るく楽しい三次会となった。