その昔、非常にややこしい方と関わり合いになることがあった。
最初はまとも、そう見えた。
が、まもなくその危険な本性が顕となった。
切れると声を荒げ、支離滅裂なことを喚き散らす。
非が向こうにあっても、その非さえテコにしてエスカレートしていく。
まともに取り合うなど難しく、聞けば聞くほど頭がおかしくなってくる。
手がつけられない。
言葉を返せば火に油を注ぐことになるから、注入される毒気にフラフラになりながらも黙って耐えるしかなかった。
見知らぬ相手なら、その奇矯を察知した時点で我関せずと立ち去ることができる。
が、関わり。
目に見えないから軽く捉えてしまうが、これが厄介で侮れない。
接点に人間関係という蝶番が生まれ、それがあるから無下にし難い。
以前、たいそう難儀した。
粘り強く距離を取り、縁を薄めて疎遠になって、晴れてそんな輩から解放されたが、人生はまさに試験と同じ、避けた試練は去ってはくれず忘れた頃に同じ課題が巡ってくるのだった。
今回もまた現れた。
ああ、ややこしい。
さて、どうするか。
逃げればどのみち元の木阿弥、心に影が残る。
かといって手荒に抗すれば同じレベル、心に汚れがこびりつく。
イージーな結論はイージーな分だけ薄っぺらで自らに益なく、子らに伝えるエピソードの枕にさえならない。
この荒馬をどう御すか。
向き合ってこそ収穫大。
一歩の距離にてパンチを受け流し、華麗に立ち回る。
そんな自分をイメージして不敵に笑う。
得た学びを子らに伝える。
その姿勢に徹すれば、ややこしいサイコでさえ栄養価高い教材に様変わりする。