月曜朝、家にはわたし一人。
二男は早朝からおらず、家内は友人と小旅行に出かけて留守。
家内がミーちゃんだとすれば友人はケイちゃん。
二人揃って歌って踊るように仲が良く、離れて暮らすが連絡途絶えることなく年に数回は行動をともにする。
微笑ましくかつ大事にしなければならない間柄であるので、食材を求める今回の小旅行についてもこころよく送り出した。
が、月曜の朝。
いったいなぜなのだろう。
気が重くそれに加えて心寂しい。
いや、心寂しいから気が重い、といった方が正確かもしれない。
シャワーを浴びコーヒーを飲み、徐々に気持ちを平日仕様に慣らせつつ自らに言い聞かせる。
負荷は年々軽くなり、十数年来慣れ親しんだ業務を今日も行うだけ。
いつも同様、着手すればその途端に気持ちが安らぐ。
ソファに深く腰掛けいったい何が起こっているのだろうと自身の心のうちを凝視する。
やることは増える一方だが、実際、昔に比べずいぶん楽になった。
遠い昔の非力な勤め人時代を思い出し、七転八倒だった駆け出しの頃を回想してみる。
当時からすれば、いまは夢みられたような日常である。
それにいまは何事も平穏無事。
たとえばつい先日、長男の大学入試があったときなどストレスは極大であった。
遠くにあれば楽観が勝るが、真っ只中だと楽観のつけ入る隙などどこにもなく、滅入るほどに気が張った。
早慶の法や経済から東大文一で締め括る受験ラインナップを見渡せば、すべて激戦。
気楽に流すように臨める試験など皆無であった。
いままさに、息子が試験を受けている。
そう思うとぐっと全身に力が入って心はあてどなくさまよい、初回の合格発表直前には不安と期待が入り混じってぐちゃぐちゃになって訳が分からず地面が揺れて見えた。
そう思えば、決着のついたいまは夢みられた平穏な日々。
憂鬱になる要素などどこにもない。
たんたんと支度を整え出勤する。
耳に流す音楽が竹内まりやのセプテンバーになって、これから8月そして9月へと続く未来に視点がいって楽しいことばかりが頭に浮かんだ。
朝食にはカレーを選び、汗が吹き出て力も満ちた。
そして机に座って当たり前のことを当たり前にこなして半時も立たぬうち、ここが居場所と地に足ついた。
家内から何枚もの写真が届く。
この頃には寂しさも消え去っていた。