機転と要領という点でわたしは家内にはるかに劣る。
たとえばマスク。
昨日のこと。
買い足そうと思って街を歩き、わたしはいくつか蒸気マスクを手に入れたが、家内の釣果と比較すれば報告するのも憚られた。
マスクがありそうな店にあたりをつけ、おおよその仕入れ時間や状況を聞き出してから巡回する。
それが家内のやり方。
わたしはといえば、通りかかった店を思いつきでちょいと覗くだけ。
仮説と検証というプロセスを経るから、家内の方が明らかに戦略的と言えるだろう。
また、マスクがあっても人が群がっている時点でわたしの場合、腰が引ける。
競合した際の密集を厭わず出足も鋭い家内とは大違い。
手にする量と質に差が出るのも致し方ないという話だった。
おまけに事務所職員の子の分まで確保するのであるから、家内の方が気も回る。
「ほら、これ」と子ども用のマスクを一箱分手渡したとき、ツバメ君はたいそう喜んだ。
つまり手柄はわたしということであるから、うちの女房は気立てもいい、ということになる。
その他、消毒スプレーも作り置きし滞りなく家族に配給することも含め、うちの厚生労働大臣は家内をおいて他にない。
いま現在、家内が家族を守っているといって過言ではないだろう。
加えて、夕飯も充実。
つまり農林水産大臣をも兼務する。
この日家内はマスクを探しがてら鶴橋方面まで足を伸ばし、K-FOODのメッカ御幸森を訪れた。
鶴橋の市場で見つけたという富山産のホタルイカが大ぶりで身が詰まって濃厚。
それが前菜。
ピカピカツヤツヤの蒸し豚とフレッシュなキムチがメインとして食卓に並び、おまけとして添えられたトッポギが本場から届けられたかのようであって実に美味しい。
そしてこの夜もすじこんが快音を響かせた。
昨日好評を博したときよりも一層深みある味になって、大幅に飛距離が伸びて目を見張った。
このように平穏な日常が続く一方、報道によれば新型肺炎の感染の広がりは深刻さを増し、その終息時期がまったく見通せない。
良い兆しを予感する要素は今のところ何もない。
しかし、一歩外に出れば赤信号みんなで渡れば怖くないといった様相にも見える。
いろいろなことを想定すれば気が滅入る。
反対に、忍び寄る脅威から目を背け無思考に陥れば、あら不思議。
解決したも同然に思えるからそれが平穏の真相なのかもしれない。
もう少し状況が明らかになってから本腰を入れて考えよう。
そう思っているうち、為す術なしという八方塞がりに窮することになるのだろうか。
そのとき、どうするのか。
いざ問題に直面した際に出すべき結論を先送りしつつ、しかし同時、ふるいにかけられるように何が大事か明瞭になっていく。
ことが収まったら、だからとても身軽に生きられるように思える。
なんとか切り抜け、皆でそこまで到達したい。
そのためには、壮年男子が機転も利かず要領も得ずという愚図のままでは話にならない。
いまこそ「変身」という幼い頃に刷り込まれたあのイメージが活きるとき。
本気を出すしかないのだろう。