朝5時半、ホテルのジムで走りながらニュースを注視した。
当分松山は台風の影響を受けそうにない。
この分だと昼の飛行機で帰阪できそうだ。
そんな見通しを持って部屋に戻った。
だからネットでJALの運行情報を見たとき驚いた。
朝9時の便について「出発予定」との記載はあるものの、「状況によっては引き返すか伊丹ではなく関空に着陸する可能性あり」との注釈が付されていた。
朝9時でさえ予定が覚束ないのであるから昼1時の便だと不測の事態に見舞われる可能性が更に強まる。
そう判断し飛行機への未練は捨てバスで確実に帰る道を選ぶことにした。
朝7時、家内を伴いホテルをチェックアウトし、高速バスが発着する松山市駅に向かった。
幾分風は強いが空は晴れ普段と何も変わらない。
お盆だからだろう、路面電車はがら空きだった。
松山で過ごした数日、もっぱら足は路面電車だった。
本数が多く気軽に乗れて、とても便利。
風景の一部としてすっかり目に馴染んでいた。
朝8時前、神戸三宮行きのバスが現れ家内と乗り込んだ。
これで無事帰ることができる。
乗ってはじめて安堵を覚えた。
バスは快適だった。
飛行機や列車での移動とは何かが異なる。
旅する同志としての連帯感が強まるように思えた。
コンビニで買ったおにぎりを朝食として分け合い、どうした訳かそれがとても美味しく感じられ、途中、吉野川インターで買ったじゃこ天とたこ天もびっくりするほど美味しくて家内と顔を見合わせた。
車窓の向こう、青空と曇天が並存していて樹木は大きく揺れそれら風雲が急を告げていたが、バスの中には安心感があった。
バスという空間が感覚を新鮮なものに刷新するのかもしれなかった。
食べものが美味しくなって、言わばバスがとり持つ仲、横並び座る夫婦の親密さが強固になったように感じられた。
愛媛、香川、徳島、淡路と走り抜けまもなく本州が眼前に見え帰郷かなったと実感した。
神戸三宮到着は昼。
松山では和食続きだった。
何か濃厚なものを食べよう、そう家内と話し合い、迷うことなくインド料理を選んだ。
カレーを頼み、帰還を祝してインドビールで乾杯した。
温泉があって食べもの美味しく、人は優しく穏やかで、三越も高島屋もある松山はほんとうに素晴らしい地であった。
松山を離れ松山の良さを夫婦二人で反芻し憧憬のようなものを覚えた。
わたしたちは松山に恋したようなものであった。
機会を捉えまた必ず訪れる。
夫婦の意見は一致した。